タイトルをつける価値なし駄文

考えたこと

そろそろ、抽象の殻を破り、具体をしなければならない。

いいかがんに、具体を記録しなければ、正解は愚か、間違いにすらならない。

具体的な事実は、今、一言で完結してしまう。

臆病で、貧弱で、プライドだけが高く、そのプライドゆえに友を裏切り失い、健康を害している1人の人間が現代の豊かな世界によって生かしてもらっているだけだ。

とにもかくにも臆病でいけない。

せっかくの恥ずかしいプライドも身体を腐らせる毒にしかなっていない。

だから、最大の勇気を奮い、まずは最近の実際の行動を具体的に記録することをここに宣言する。

どうなるだろう。

あまりに平々凡々な、のんきで怠惰でもしかすると豊かな生活を深刻な顔で行っている人間が浮かび上がって見えるかもしれない。

それはそれで、いい。

何もないことが一番怖い。


何をするか。やりたいことをやれというが、スパンと一つ浮かぶものではない。

ああ、というより、いつも僕の頭の横にいっぱい並んでいる、こんなことやってどうなる事リスト。

これを消化する事が、生きる事なのかな。

やってみますか。

時間かかるぞ。

お、少しワクワクしてきたぞ。

思うに、自分という器を満たしたときに、こぼれ出るのが自分の持つ真の意見だ。

空っぽだからといって、無理やりよそ様から借りて入れて、ひょいと取り出して事なきを得てきた自分の愚かさを知る。

僕は今、自分という器が空っぽであることを祈る。要らぬものでいっぱいであって、大事なものが入らないなんてことがないことを祈る。

自分の信じるものを入れてゆこう。

それが、善か悪かは判断する必要などない。

器を満たすには時間がかかる。

そして、人間はよどみに浮かぶうたかたの如く時間しか与えられていない。

急げ。

実行なき決意に意味はない。

コメント