人を殺すこと

考えたこと

死ぬまで生きる事が大事だと思った。

自分視点で考える。

人を殺す事は悪い事だと誰もが言う。

殺すのは相手で死ぬのは自分。

自殺をする事も悪い事だと、多くの人は言うと思う。

殺すのは自分で死ぬのも自分。

殺人は世の常である。

僕はどちらについても悪い事だと納得する事を放棄してきた。

誰が誰に対してどう悪いのかを考えなければならないから面倒だった。

考えるのは苦手だ。

今日、やっと決める事が出来た。

人を殺す事は悪い事だ。

自分にとって。

仮に僕が誰かを殺したとして。

もう言葉を持たない故人の感情を汲んで悪いと思うのはおかしい。傲慢な考えだと思う。

自分が誰かに殺される事について、当然だが自分が悪いとは思わない。

しかし、自分が死んだ後の自分の事を考える意味は無いと思うが、もし魂だとか意思が残るのだとして、僕は自分を殺した相手をずっと恨み続けるとも思えないのだ。

いずれ許し、精一杯生きろと鼓舞さえしたくなるかもしれない。

それを、いやしくも生を持つ殺人者があたかも分かった風に、僕の意を汲んでいるかのように悪いと考えているのは我慢ならない。

だから僕は相手に対してではなく自分にとって、人を殺す事は悪い事なのかを考えなければならなかった。

そして僕は今日、この世に生まれてきた人間は皆死ぬまで生きる事が尊く、儚く、美しいと感じた。

大往生だろうが、事故だろうが、病死だろうが、他殺だろうが、自殺だろうが、等しく尊くて儚い人間の姿だという気持ちが、腑に落ちたというのか、ストンと自分の思考に馴染んではまり込んだ感覚を得た。

最近触れた小説なり映画なり音楽なりに多分に影響を受けた結果であろうことは自覚している。

僕の絶対的な価値観とならないかもしれない。

その不安はあるが、今そう思っていることは紛れもない事実として、書き遺しておきたかった。

ともあれ、そう思えた自分の心が救いに感じた。大事にしたいと思った。

そう思った所で答えは出た。

僕は自分が殺した人間の生を儚く尊く美しいだなんて、絶対に思えないから。

そんな事をすれば、救いは無くなってしまう。絶望が訪れる事は疑いない。

それは僕にとって悪いことだ。

だから少なくとも僕にとって人を殺す事は悪い事だ。

 

自殺は悪い事なのか、その答えはまだ出ていない。

安心してほしい。

漠然と悪い事だとは思っている。

ただ、漠然とでは嫌な僕がいるだけだ。

しかし、自殺というテーマは難しい。

行動の選択肢として、当たり前のように「ある」世の中になってきているのを感じる。

この流れがとても強いと感じる。

僕の中にも、選択肢として当たり前に浮かぶし、世間もそれ自体は否定しないだろう。

殺人事件のニュースと自殺のニュースの「またか」が同じレベルになり、「またか」とすら思われずに流されるような日は結構近いのではないかと思う。

もう来ているかもしれない。

でも、今のところ、僕はその流れに抗いたいとは思わない。

良くも悪くも流れに沿って生き、たまに起こる爆発的な情熱に嘘をつかない生き方が出来ればいいと思っている。

もし、自殺というテーマを問題視し、流れに抗う事に爆発的な情熱を傾ける人々が多くいる事を感じたら、その時は人間も捨てたものではないなと、何目線か分からない感慨を抱くことだろう。

 

ああ、本当に頭が弱い。心も弱い。

そんな自分が、シンプルに生きたいだなんて儚い夢をみたりしてしまう。

悪いものは悪いんだと、言葉に頼らない豪胆な一言を発する人間に憧れる。

そして、そんな面倒な自分を存外気に入っている所も救いようがない。

幸不幸を考える事に意味はない。

それでも言いたい。

僕は幸せだ。

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