言わずと知れた大文豪、太宰の作品についに手を出した。
結果撃沈、意味不明。
私にこの思考の濁流は受け止められませんでした。
と言えればどんなに良かったか。
たぶん、何も分かってはいないのだろうし、いや、小説を読んで分かったなどという満足感を得たいならば物語など読むべきではない。
分かっていないというのではなく、謎めいてしまったというのがしっくりときます。
ともあれ、私は一度ならず二度、この本を投げました。
それは、気持ち悪さからでした。
私の思考を寸分の狂いも無く、全くそのまま取り出され多様な気がしたのです。
なぜ、目の前に自分の思考が置いてあるのか、自分でも表現できないのにといった気持ち悪さがありました。
もちろんそれは一部分だけのことで、この物語を通した人物像がそのまま、私みたいというわけではありません。
むしろ、ここまで自分を表現されながら、この主人公の事が良く分からないからです。
クズだと思います。本人もそう申しておりました。どうしようもない、女にだらしのない男です。
しかし、私はどうしようもなく魅力を感じてしまいました。
この人になりたいと思いました。
と同時に嫌悪感もありました。
この共存できない、感情が気持ちが悪いのです。
他の人の書評によれば、若い時分に読むを響き、歳をとると響かなくなるようなのです。
私の年齢では、響かないようでしたが、どうなのでしょう。
つまらないと一蹴してしまえた方が、まともに年をとってきたと言えたのかもしれません。
ここまで長文を書いてしまっている事が、答えなのかもしれません。
記録とは、偉大であります。
この作品を読み直す機会は、訪れると思います。
その時にこれがあることが、どんな意味を持つのかそれが楽しみです。
とりあえず、以上。
相変わらず引用ゼロの具体性に欠けるふわっとした感想、お疲れ様でした。
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