僕と他人という物語

考えたこと

人を一つの物語と考えてみた

はじめに

他人の人生を一つの物語として考えてみたら、いろいろなことを考えたので記録しておく。最近読んだ本に自意識の過剰さを指摘した一節があり、自分の事かと顔から火が出そうになったが、懲りずに考えを放出し続けることにした。

戻っても、何もなかった日々に戻るだけだし、今の方が楽しい。これもまた、自意識の現れなのか?よくわからなくなってきた。自意識についてもう少し詳しく知りたい。

物語を補う

人との関わりというのは本でいうと、たった一文一文でしかなく、僕たちはそこからどんな人かを判断している。

物語に情報が足りないと思った時、自分の知識、経験を思い出して空白を埋め合わせ、物語の世界観を脳内に作り上げる。
前にもこういう話読んだことあるし同じような展開かなとか、この登場人物はクラスメイトのあの人に似ているなとか考えて、本の文字情報から世界を作り上げていく。
風景の描写があれば、見たことのある景色を思い出して想像する。

人との関わりも、相手の人物像を知るのに足りない部分は自分の考えでその空白部分を補完しているように思う。
例えば、何気ない一言、仕草からどんな事を考えているのかを推測して次の発言を考えることがあげられる。
となると、当たり前であるが人というのは分からないことだらけの空白だらけである。ほとんどが行間である。

物語と呼べるほど、連続して人とかかわりを持つことはそうそうない。
だからどうしても、自分の考えでその人についての空白部分を埋め合わせ、想像することになる。
他人の人物像は、ほとんど自分の想像で補い形成されていると考えていいと思う。
よく「人は鏡」と言うけれど、なにも相手の反応で自分の事が見えてくるというだけではない、他人を考えているというその想像の時点で実は自分のことを見ているのである。
だから、当然実際とはズレがある。
最初から物語を見ているはずの、親ですら徐々に分からない部分の方が多くなるのだから、他人ともなればそのズレは顕著になる。

本はいい。基本的に本はその一冊で独立していて、他の本と関わることは無い。本が本に興味を持つこともない。
しかし、人間は関わらざるを得ない。他人に興味を持ち、時には誰かを好きになる。だからいつの時代も人間関係の問題や悩みは尽きない。

興味を持つ

人に興味を持たれるとはどういうことか。
人とのかかわりの中で相手の物語で読める部分はほんの一文という短いものだと言った。
自分が誰かに興味を惹かれる時というのは、その時の一文を見て、もっと読みたいと思った時である。
つまり、逆に自分はたった一文で相手の興味を引かなければならないことになる。
これは難しい。
相手が何に興味を持つか知ることもそうだけれど、自分の面白い部分、自信のある部分だけを見せるというのは難題である。
物語には波がある。常に「今いいところなんだ」なんてことは無い。
ずっと面白いなんてことは無いし、ずっとつまらないこともない。
部分部分はたいして面白くはなくても、全体を通したら読み応えがあったと感心することもあるだろう。
天下の芸人だって、四六時中人を笑わせるのは骨が折れるだろう。
地味な生活で世間にもてはやされることは無くとも、紆余曲折を経験し力強く生きている人々の物語が読めるならば、それは勇気がもらえる立派な本だと思う。

ここで現代に生きる私たちにはアドバンテージが与えられた。
SNSである。その人の物語のハイライトともよべる瞬間を切り取り、人に周知できる上に反応までもらえるコミュニケーションツール。
虚偽の人物像ですらでっちあげることが出来てしまう。SNSを批判したいわけではない、僕もやっているし。
ただ、人間の虚を捉えたよくできたサービスだと思う。

想像と違った

あなたはこういう人だと思っていただとか、信じていたのに裏切られた気分だという言葉で傷ついた人がいるかもしれない。
逆に思っていたよりいい奴だったとか、出来る奴だったというのもあるだろう。
先に他人という物語の行間を埋めるのは自分の想像で、行間の方が圧倒的に多いという話をした。
つまり、思っていたより違ったというのは当然起こりうる。
ただ、それを相手に伝えるのはどうなのかと思った。自分も言っている時があるから、ここで考え直したい。
特に裏切られたというのはひどい。間違ったのは自分の想像であるのに相手を批判するのはおかしいだろう。
もちろん、普段の言動という十分な相手からの情報があった上で嘘をつかれたという場合は除く。

相手が思っていた人柄と違ったというのは、頻繁に起こりうるが、たまにそんなささいなことで不機嫌になる人がいる。
それは自分の許容の狭さが問題だ。
自分の想像とのズレた先が、自分の想像力の及ばない場所で、「わかる」と思っていた相手が「わからない」になったことが不安でつい相手を悪者にする。
「わからない」を新たに知って分かろうとしない心の狭さが相手に刃を向けることになる。不和を生む。
そういう心の狭い人間にはなりたくない。

恋から愛

詩的な

相手の一文を読んで興味を持ち、また読みたいと思う。
また、面白かったからもっとたくさん読みたいと思う。

そうやって人を好きになる。

そこまでは、それでいい。
相手の物語に興味を持っているだけの unrequited love。

付き合うようになると少し物語が変わる。
自分がちょっと重要な登場人物として出てくる物語。
その人物は今までの一文より少し長い文に登場する。

そこに興味がもてるだろうか。

結婚するとさらに物語が変わる上に、増える。


自分が大役として出てくる相手の物語。

そして、自分と相手で「創る」物語。


そこに興味が持てるだろうか。

相手の物語に変わらず興味を持ちつつ、新たな物語を一緒に書き上げる自信と覚悟があるだろうか。
「ズレ」を許容しあって、面白いだけではない喜怒哀楽いろいろ含む、長い物語を「創る」覚悟が。

恥ずかしや

恥ずかしい。考えてしまったから仕方ない。これが、僕なんだから。

ここを基点と認めなければ、これからに進めない。

こんな事いってると、結婚出来ないんだろう。
諦めつつあるから、堂々とこういうことが言えるというのもあるけれど。
ノリが大事ってのも分かるんだけどなあとつくづく思う。

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