僕にとっての物語

考えたこと

はじめに

ここ半年くらいで、だんだんと本を読むようになった。

最初は本は読んだ方がいいという世間の一般的な意見にのっとって漠然と読んでいたのだが、徐々に本を読む事への考え方、価値観が変わってきている事に気づいた。

それは、人生について考えたり、日記をつけ始めたり、友達と本の話をしたり、面白い本に出合ったりといろいろな経験から自分の思考に変化が表れているのだと思う。特に大きいのは日記をつけ始めたことで、自分が言葉を使うという事を意識し始めた事が影響している。

何度か、ふと本を読む事の意味を考えたが、その度に新たな発想が生まれて面白かった。

残していないのが残念。

偉そうに語るのが恥ずかしくなるほどの読書量ではあるが、僕にとっては自分の考えの変化に興味がある。またこのテーマについては、書くことになると思う。

というわけで、今日ふと考えたことを残しておきたいと思う。

物語の不思議

物語を感じたい。

それは、言葉の連なり、単語の結びつき。

言葉の一つ一つは大抵、理解が簡単な小さな概念でしかないけれど、それらが絡み合って物語、よくある話だとか、不思議な話だとか、独特な話が出来上がっていく。

一単語の中にも、その言葉が生まれた経緯、エピソードがあるだろう。物語の中でも、見た人それぞれで注目する場面が違うし、同じ場面でも、想起する情景は違うだろう。一文一文、一単語一単語でも、思う事は違うだろう。物語を通してそれだけ、感じ方はズレているはずなのに、大まかに、良かっただとか、この場面が好きだとか、共通する部分がある。不思議だと思うし、当たり前だとも思う。この感覚自体も不思議だ。

自分という世界(国)

孤独と自分

共感というのは、かなり曖昧で大きな括りの感覚だ。

突き詰めれば、絶対に違いはある。全く同じ感覚で理解など出来るはずがない。言葉は正確ではない。いや、音や映像等五感について全て同じ環境を用意しても正確な表現は出来ない。だから本当の承認は得られないし、その欲求が真に満たされることは無い。みんなそれは、なんとなく分かっているから、人間は孤独なんだ。

でも、自分の世界が大好きだと思って生きている人がいるのなら、それは僕にとっては救いだと思える。みんなそれぞれに好きな世界をもって生きているなら、素晴らしいと思う。孤独結構だと思う。

孤独であるがゆえに、自分が存在し、他者との関わりが持てる。人間一人一人が世界なんだ。

豊かな国

僕は豊かな国を築きたい。

僕は最近まで、国と呼べるほど統治された世界をもっていなかった。経験や感情、知識等という、国民がどれだけいて、何をしているのか全く把握出来ていなかった。だから、他者という世界の異文化とも呼べる価値観に晒されると、僕の感情は恐れからか家に篭り、鍵を閉め、窓を閉めた。知らない文化をどう受け入れたらいいのか分からなかった。となれば、僕はこの国民たちに名前と仕事を与えて、存在意義を与える。土地を開墾し、船や飛行機といった移動手段をつくり、遠い場所や離島にいて今まで全く関わりのなかった人たちとの交流も促して、新たな関係性を築く。

今、ここに書いている文章がまさにそれだ。知っている言葉や概念に、文章の一部になるという仕事を与えて、使うことで、言葉同士の新たな交流が生まれて文化が出来る。世界が構築されていく。

こうして、世界が大きく豊かに柔軟に育てば、他国との関係も持ちやすい。

他国との交流

大国の優秀な文化を取り入れる事は大事だけれど、言われた通りにするだけでは、取り込まれる。それでは植民地状態だ。大国の影響をもろに受ける事になる。依存する事になる。それでは、いけない。

お互いの影響力のバランスをうまく取り、望む関係性を築くには、自分の国の力を把握し、足りないものを知って補完しなければならない。大国と関係を築くには、力と技術をつけて国を育てなければならない。

僕は今、国を興している段階だと思っている。かなり、臆病な国民性で鎖国気味だ。しかし世界は広いもので、この国にも魅力は眠っていると言ってくれたり、交流して支援してくれる大国がある。とてもありがたい。こちらも大国になって、感謝を伝えられたら嬉しい。良い文化交流が出来たら嬉しい。

物語を読むということ

そんな事考えていたら、物語を読むという事は、雲の上のような存在である大国のほんの一部を見学させて貰ってる気がしてきた。もちろん、完全にマネする事は出来ないし、しないけれど、感銘を受けた部分を取り入れてオリジナルな文化創造に役立てる。そんな見方も出来ると思った。

ローマは一日にしてならず

ああ、人間は見かけによらないと言うけれど、外に現れる人間性というのは国で言うマスメディア的なもので、方向性は合ってるけれど誇張しすぎていたり部分的すぎて、実情とはかなりズレがありますよという感覚と似ているのかもしれない。

マスメディアはよく叩かれるイメージだけども、外見で損をするということはそういう感じかな。そう思ったら、服装とかは気をつけるとしても、仕草や表情につい良さが出てきてしまうような、そんな国をつくりたいよなぁ。

ローマは1日にしてならずだな。焦らずいこう。嘘や誇張は簡単だし、目的によっては時に必要かもしれないけれど、僕が今得ようとしているものを得る為には、嘘や誇張はむしろ邪魔になってしまうから。自分を騙すのは難しいから。


国に歴史あり。1人の人間にも歴史あり。歴史から学ぶには残さなければ。全ては無理だし、嘘があったりもする。でも、そこには何かしらの気づきはあるだろう。歴史は繰り返すというが、1人の人生という短い歴史の中でも、繰り返される過ちはあるだろうか。出来れば、繰り返したくないし経験は有効に使いたい。

失敗は成功の元

失敗は成功の元という言葉を、思い出した。

成功の所は「豊かな国」に言い換えて。よく聞く月並みな言葉で、今や全く響く言葉だとは思えなくなっていたけれど、成功とは何か考えると分からないが、より良くなるという感覚で捉えるととても勇気付けられる言葉だと感じる。

失敗の活用

失敗は記録しておくと良い。

しばらくすると、大抵解決しているもので、すると失敗した事自体を忘れる。忘れるのが悪いという事ではない。ただ、過去の失敗について、あの時は辛かったけれど今はなんとも思っていない事を改めて知ることで、「今、これからの失敗」の辛さも永遠には続かないという事に気付かせてくれるので、メンタルケアに良いという事。

そんなことを考えた、休日。

そんな事を考えた、休日。

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