私はネガティブを武器に生き延びてきた。
私は生きていくうえでの困難の乗り切り方をこれしか知らないのだ。
私の世界では、これが常套手段であり、唯一だった。
私は幸福である。
なぜなら、今生きているからだ。
自らのネガティブを善とし、自らのポジティブも善とする。
偏りはある。
私は私が生きる為に、ネガティブに情熱を注いできた。
ネガティブは私の友であり、私自身であった。
この気持ちはネガティブだろうか、ポジティブだろうか。
保守的だろうか、革新的だろうか。
どちらでもいい。それが、私の決断であるならば。
他ならぬ、私のモノであると信じられるのならば全ての事は確かに心に質量を持って堆積する。
それが、私になる。
そんな気がする。
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