気の済むまで悪態をつこう。
気の済むまで人をけなそう。
気の済むまで、反抗しよう。
そしたら、僕は本当の意味で独りぼっちになれる。
暗い事を考えれば考えるほど、辛ければ辛いほど、救われる気がする。
なぜそんな風にしか世界が見えないのかと思う。
僕は満たされすぎていて、頭が腐ってきているんだと思う。
僕は満たされすぎているから、悲劇ぶってバランスを取ろうとしているのだと思う。
僕みたいな人間が一番害悪なのではないかと思う。
いや、本音を言おう。僕みたいな人間が一番害悪だ。
身体的不利もなく、人並みに考えて行動は出来るから、こと日本において経済的不安などない。
不幸を我が物顔にしたような人生に誰が関わりたいだろう。
そう思わなければ、とても現状と過去を受け入れられない。
そのような言葉は隠すべきだという事も分かっているつもりだと言いながら、隠すことが出来ない。
矛盾だらけだ。現状が不幸だというのならば、今私を思い、働きかけてくれる人を私は無下にしていることになる。それでもいいのかと自分に問えば、違うと答える癖に、違うという答えに真摯に向き合えば、そこに現れるのはまた行き止まりの絶望なのである。
想像力が足りないのだという。絶望以外の世界を見る想像力が。
この世は修羅である。我が世は修羅である。
大切にしたいものを手放せという。誰が言う。私が言う。
絶望よ。絶望を忘れさせてくれ。
さて、自分の美しいと信じられる文章と音楽をつくることを楽しもう。
ロマンを感じよう。
拙く、滑稽で、意味不明で、孤独な、そんな世界を中二病と言ってもいいだろう。
僕が生きている事は尊い。僕がやることは有害だ。
それでもいい。いいんだよ。
恥ずかしさも、憤りも、みんな隠すから、僕はさらけ出そう。
子供より子供に。大人より大人に。
意味のない世界に、意味より意味のある輝きを。
どうかしていると言われるかもしれない。
そしたら僕は至極真面目な顔で心の底から、こういい返したい。
なぜ、あなたはどうかしていないのかと。
私は素晴らしい感性を持っている。
誰の共感も必要としない、唯一無二の感性を持っている。
孤独も孤立だってものともしない。
自分自身でさえ、それを否定することなど出来ない。
だって、それは神が与えたもう絶対の価値を持つものなのだから。
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