寂しいなあ。寂しい。
これは、人と会っても埋められることは無い、人間らしさというものだろうか。
であれば、私はこの感情も少しだけ好きになれるかもしれない。
人間らしいという言葉にときめくのは、人間らしくないってことが嫌いだからだろうか。
人間らしくないってどういう事だろうか。
私は人間を知っているというのだろうか。
私の想像力の範囲でしか、世界を見る事は出来ないというのに、何十億と生きているらしい人間のうち何人と会って、私は人間を知っているというのだろうか。
そう。知ることは出来ない。
それが寂しい。でも、だからこそ人は動く。
知ったことを大切に思う。それは寂しさが常にあるからなんだ。
ちくしょう。
ここまでか。
文字からイメージを浮かべる人間のすばらしさを体験していたというのに、文字から何もイメージが出来なくなる瞬間がどうしても訪れる。
なぜ睡眠をとらなければならないのだと考えてしまう。
ぼんやりとした頭でそう思う。
そして、これは対価なのだと知る。
文字に限らず、あらゆる刺激からイメージを膨らませる事が出来る人間の素晴らしい能力の行使への対価なんだと知る。
睡眠という対価をきっちり払う事で、その能力は最大限に発揮されるのだと知る。
知ってなお憤慨は残るが、真理というものがあることを信じればこそ、この世にロマンがあることを思えば致し方あるまいて。
だから、対価を払った分は使い切りたいと思える。
今日は使い切れただろうか。明日があるとは限らないぞ。
そんな思いも忘れてしまえるからこそ、人間は愚かで面白い。
おやすみなさい。
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