今日の朝はいつもより、20分程早く起きてみた。
シャワーを浴び始める時は、もっと寝ていたいと少し思ったけれど、いつもより、長くシャワーを浴びていられると思ったら嬉しくなった。
コーヒーでも優雅に飲んでいこうと思ったけれど切らしていた。
白湯や温かいお湯や温めた水を、ゆっくり飲んだ。
体がいつもと違う時間の流れを感じて反応するのが分かった。
それは心地よさだった。
書いておく事に楽しみを感じていない状態だったら、その瞬間は心地よくなっても、取るに足らないどうでもいい事だと考えて忘れてしまっていたと思う。
今はその何でもない事を書くことのネタとして消化出来る事が楽しい。
意味を成していなくても、支離滅裂でも、そこに僕自身が面白さや達成感を感じられるならそれでいい。
言葉への変換は技術だ。技術は一朝一夕で身につくものではない。
そして僕は言葉にする事をあまり好んでいなかったし、恐れていたからその技術は年齢に対してずいぶんとお粗末なものだ。
技術を持つものは、複雑なことも出来るが、誰かに対して何かを表現する際は分かりやすくすることが出来る。
難しい言葉を知っていて喜ぶのは、情報収集をする自分であって、相手ではない。
難しい言葉を使われて喜ぶのは僕みたいな変態だけだ。
何かをやろうと思った時、技術の問題であれば、「今」出来ないのは当然だ。
やりたいと思った瞬間に、自己満足の世界に入り込めることがやりたいことだ。
自分で自分を守る絶対領域が自己満足の世界だ。
何かを気にして出来ないと感じることは、やりたいことではない。
何かに執着を抱いている。
それが、自分の過去なのか、今の環境なのか、得られない物を求めているのか、見極めることだ。
と、ふわっとした大層なことを言い、
これから対価を支払うまでにすることは楽しい楽しい物語を読むことなのでした。
明日も早めに起きて、シャワーを長めに浴びたいなぁ。
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