不思議だ。
生きている事が不思議だ。
感情が不思議だ。
恐れとは何か。不安とは何か。楽しいとは何か。
僕はふわっとしている。
ふわっとしているから悩む事を知っている。
でも、ふわっとしている感じが好きで未来に期待できるとも感じる。
ふわっとしているから救われるときもあれば、問題を明確にして対処を試みる事で救われる事もある。
それが自分を知るという事かもしれない。
眠い。
全ての事に答えを用意してみよう。
その瞬間に実験が始まり、自分の正解に近づいていく。
だから、明言すればいい。
明言することで初めて己を知る。
それが人生だ。
時間はあっという間だ。
この世に無限は無い。宇宙でさえ有限なのだから。
これを後から読み返した時に、現実から目を背けたいがために非日常を語っているように思うかもしれない。
実際そういう気持ちの時もあることはあるが、今に至っては何事にも否定の感情はない。
むしろ、もっと広い視野で自分に必要だと感じている作業である。
背けたい現実と言えば仕事の事を考えるだろう。
明日も仕事だ。確かに嬉しくはない。
でも、僕は仕事に行くと決めている。
であれば、行ってどうするのかを決める事はしても、行かなければどうなるのかを考えるのは無駄な時間となるので考える必要がない。
仕事に限らず辛い時間、期間を強いられる時があるかもしれない。
しかし、そこから逃れる事を決めていないのであれば、恐れや怒りの感情に頼るのはあまりいい手段とは言えない。
怒りや恐れの感情によって、自分が癒されるかどうかは相手に依存することになる。
相手の反応によっては大いに癒しの手段になりうるかもしれないが、期待していない反応をされる場合はその負のエネルギーはそっくりそのまま自分に帰ってくる。
というより、行き場を失って自分の所へとどまり続ける。
怒りや嫉妬は諸刃の剣なのである。
辛い時間がずっと続くわけではないことが、ほとんどだろう。
であれば、恐れや怒りという感情に頼るのではなく、些細なことでもいいので自分はこうしようという明確な自分だけの意思をもって行動し、それ自身は自分で認めてあげる事が物事を前に進めていくことにつながる。
ダメだったらダメでいいのだ。自分で決断して自分でダメだったと知る。その時は辛いだろう。
でも自分で決めたことは、受け入れられる。そして、大事なのが新たな決断をすること。
決断の一切を他人任せにすると、自分で感情の舵を取ることが一切できなくなる。
だから成功も失敗も自分のものにするために、決める。
どうしたいのかではない。どうするのかを決めてしまう。
そうやって初めて前進するという感覚をつかむことが出来る。
何日後か、何カ月後か、何年後か、この日記を読み返すのが楽しみであり、恐ろしくもある。
これも自分を前進させる手段だと、過去の記録を見て確信しつつある。
ゆえにまとまりも意味も一切を考えず、思うままに書き連ねる。
頭のいい人、知識のある人から見たら、僕が今どういう状態でどうしたらいいのかわかるのかもしれない。
でも僕には、今のところこれが全てで、事実で真実だ。
だから、書いておこうと思った瞬間から、書かない選択肢はもう失われている。
今日が最後の更新になる可能性を考えつつ、ここいらで絞めるとする。
おやすみなさい。
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