物理はやはり面白い。
役に立たないことは知っても意味がない。直接仕事の役に立たない。
そう思っていたけれど、役に立つとか意味があるとかの判断を一切せずに、ただただ物理学という知見がどういった世界を見せてくれるかということを素直に受け取ると、まるで好きな人が出来た時のような、世界が変わって見えるような心地になる。
いや、ようなどころではない。
科学的に証拠が並び立つわけだし、信頼が高いゆえに、確かに世界が変わって見える。
実際は世界はただただそこにあっただけだが、見えないものはないのと同じであり、知っている者だけが見ることが出来る世界だ。
宗教と違うのは、信じる者だけが見ることが出来る世界ではないという事だ。
学問の垣根は曖昧という事が言われるが、物理もモノのことわりと書くが証拠を提示するまでは、こうではないかという着想だけがある状態だ。
その時に証拠がないまま信じてしまっては宗教となり、発展や応用などなく、今日の世界は築かれていなかっただろう。
とはいえ、人間という種が生き延びる上で追及と信仰のどちらが優れていると決めつけることは出来ない。
電気がなくとも人類は何万年も生き延びてきたのだから。
そして、人類以外の生物も発電など必要なく生きているのだから。
思うように捉え、思うように行動する。
人類の目的なんてない。気まぐれで結構なのだ。
世界自体が気まぐれでできているようなものなのだから。
ここまでか。
信じがたいし気が乗らないが、科学的知見を信用して、実験的に睡眠時間を増やそう。
おそらく何らかの変化があるはずだ。
自分の変化を出来る限り客観的に見つめよう。
記録とは、その変化をより明確に正確に鮮明に外側から見えるようにし、考察し、応用することが出来る、希望に満ちた作業なのだから。
おやすみなさい。
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