記録/2021.03.24

日記

特に書く事が無くても何かしら書くとよいというのが、なんとなくわかった。

書かないとなんだか調子が悪い。

思考というのはなんであれ、一度寝かすことが大事らしい。

見つめる鍋は煮えないのだ。

そんな言葉もこうして何かしら書いてみようとして思い出した。

そうしてさらに強固に記憶に定着される。

今日の事を書いておこう。

仕事がとてもつらかった。

どういった辛さかというと、失敗に失敗を重ね、また間違うのではないかという不安から、自分自身での判断が怖くなり、判断の怖さから作業が遅くなり、その遅さがまた焦りを生み、焦りがミスを呼び、最終的に自分は出来ないと思うようになり、それでも手を止めるわけにはいかないから、作業は進めていく、出来ないと思いながら、出来るイメージを持てずに迷宮を彷徨うように手を動かす。出来ないのに手を動かしていると、次第に何をやっているか分からなくなる。

呼吸が浅くなっている事に気づく。

そういう辛さだ。

こうして、書いてみるととても近視眼的になっていることに気づく。

僕の仕事の目的はこの際考えない。目の前にある仕事の価値を考える。

価値を欲する人がいるから仕事となりうる。

そのことを忘れている。

出来ないかどうかを判断するのは意味がない。やらなければならないのだから、やるし、出来ないと分かれば次は無いだけだし、出来るようになりたければ、学べばよい。

そのスピードや関心がお客さんの期待に沿えないのであれば、それなりの対処がなされるはずだ。

僕はただ僕であればよい。

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