ああ、人間はどうしようもなく成長するものなんだと思った。
家に帰ってきてから、ふとした思いつきでWEBで出来る無料のタイピングゲームをやってみた時にそう思った。
確実にタイピングが早くなっている。
確かに仕事でメールを打つことが増えてきたから、必然的に毎日タイピングをしていることになるが、特段タイピングを早くしようだとか、正確に打とうだとか考えてはいない。
ただ、少し急いでいるだけだ。
その結果、私の指は頭の命令にこんなにも正確に早く動いてくれるようになっていた。
仕事でどうしようもなくメールを打っていただけだ。
この成長が自分の意思であると思えるわけがない。
毎日メールを打っているから、早くなって当たり前だと済ませてしまう事は、私にはできなかった。
なぜなら、私は何をしようか、何をすればいいかなどを考えているだけの時間が大半を占める、優柔不断で、自分の価値観を自覚できていない人間だからだ。
人間生きているだけで経験を蓄積し、その経験が今の自分を形成しているというのに、何を経験しているかを自覚していなければ、自分がどうなっているのかなんて予想がつかないではないか。
自分が分からなくなるわけだ。
さて、それに気づいたというだけでも、いいのだけれど、もう少し希望を持てる考え方に出来るのではないか。
確かに、私はもう、今自分がどういう状態で、どうなりたいのかという事も分からなくなっている。
それは分かった。
分かったことは、やったことが自分になっていくという現実のみだ。
私は、これを希望ととらえもしないが、悲観的になる必要もないとも思う。
何をやってきて、どうなるかをコントロール出来なかったとしても、私という人間はやってきたことを学び、吸収できるという事実は、私にとって不思議な現象そのものだ。
私はこれから何を身に付けていくのか、それが分からずとも、いや分からないからこそ、それが楽しみと成り得る。
だから、私は私に何かを身に付ける事のみを期待し、望むものを身に付ける事や自分の未来をコントロールすることをしない。
何が待っているか、最高にエキサイティングなギャンブルだ。
コメント