人生とは。
つかみどころなどないものである。
これは間違いである。
間違いであると言い切ってしまうことも間違いである。
今の私には分からないというのが正しい。
分からないと思うとストレスになる。
このストレスから逃れたいと考えた時、興味を持たない事も一つの手だが、これを一つのテーマとして自分から切り離して見つめてみるという手段もある。
つまりは実験するという事。
人生とつかむということはどういう事か定義し、つかみどころがないと仮定し、検証を重ねる。
つかみどころがあると結論づけたのなら、つかもうとするだろう。
つかみどころがないと結論付けたのなら、必死につかもうとすることも、つかめないと思って落胆することもなくなる。
そもそも結論が出せた時点で確かに前進しているという実感が得られるものだ。
とはいえ、この実験をするつもりはない。
常日頃しているようなものだ。
つかめるかつかめないかということに意味はない。
つかんだと思う事もあるし、つかみ損ねたと思う事もある。
つかめるものではないかと思う事もあるし、つかめないものではないかと思う事もある。
つかめるものだと思いたい時があるし、つかめないものだと思いたい時もある。
つかめるかどうかが大事なのではない。
今、どう思っているのかという事に素直になって行動する事の方がはるかに大事だ。
頭で考えてもどうにもならないことの方が多い。
身体を動かして初めて頭は考え始めると思うくらいが、馬鹿を楽しむコツだ。
馬鹿を楽しむ事が人生を愛するという事だ。
私は思った。
記録といいつつ、内容がこういう事では今日あった事が全く分からないなと。
とりあえず、そう思ったことだけ記録して、寝るとしよう。
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