なぜ、気弱な態度、声になるのか。
それは正解があるという幻想を持ち、自分は正解にたどり着けないと信じているから。
完璧な正解はこの仕事にはない。
より良いという、ふわっとした概念だけが存在する。
そして、正解という記号は、より多くの人が納得するだけの、理由と証拠を並べ立てられるものに与えられる。
主張することによって、正解らしき記号を得る事が出来る。
僕は主張しようとしない。
しかし、それがやる気がないという事に直結はしない。
ただ、嘘はついている。この仕事自体に興味はない。
だから、言葉が出てこない。
では、何に興味があるのか、仕事をすることに興味がある。
仕事とは何なのか、それを知る為に仕事をしていると言ってもいい。
僕の夢はとっくに叶っている。
学生を脱し、仕事をして、生活する。
今、生活出来ている。
夢は叶っていた。
次の夢は、仕事をやめる事か。冗談じゃない。
せっかく叶った夢を手放すつもりはない。
では仕事をしたいか。正直、したくないと感じる事が多い。
仕事は強制されてやるものではない。
実際、誰からも強制されていない。
自由だ。
迷宮に迷い込みそうだから、この辺でやめておこう。
書いている内容程、今この状況を深刻に思ってはいないし、むしろ少し面白がって書いている。
幸せを感じる事が多いこの頃だ。
なんでもよくて、なんでもよくない。
何でもいいというのは、世界から見た僕個人が何をするのかは何でもよいという事。
何でもよくないというのは、僕が僕に思っている事、こだわりの事。
何でもいいわけない。自分の信じるものを体現して生きる。
要するに、馬鹿でいいから、馬鹿になれと言いたいのだ。
しかも、馬鹿なら馬鹿なほど良いのだ。
それが、「楽しい」なんだ。
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