仕事が出来ない。辛い。
考える機会がやってきたようだ。
この仕事は決断力の速さと正確さが必要である。
その決断に絶対的な正解は無く、良し悪しはそれを評価する人による。(上司やお客さん、その他の社員など。)
しかし明確な失敗は存在する仕事であり、それさえ避けていて、納期に間に合えばとりあえず成功と言える。
僕は今、納期に間に合わず、失敗を繰り返している。
だから、仕事が出来ないと感じるし、それを辛いと感じている。
感情の分類をする。
出来ないと感じることと、辛いと感じる事を区別する。
出来ないというのは、自己評価であり、他者評価でもある。
ここに感情は存在しない。あるのは、外的環境が要請するノルマや自己に課すノルマに対して、達成で来ているかという厳然たる評価のみである。
この評価に対して、僕がどう思うのかという所が大事な所となる。
他者評価に対する辛さが大きいのか、自己評価に対する辛さが大きいのかという事が考えられる。
今回に限っては、自己評価を著しく下げざるを得ないミスがあったことが辛いと感じる原因となっている。
他者の評価に感情を依存させていては身が持たない事を悟り、最近は自己満足を念頭に置いて仕事をしており、一定の成果が得られていた。
自己満足を積み上げる事で、いつの間にか、自信というものがついていたらしく、いけていると思っていたアウトプットが失敗していたという事がショックだったのだ。
以上のことから、僕は成長や変化の過程における辛さに対面している事が分かる。
仕事への認識を実験的に変え、その成果が無意識に得られていたことを、奇しくも成果が出ない事をきっかけに知ったのだ。
絶望するにはあまりに希望がありすぎる失敗である。
人間だもの、で辛さは華麗に受けとめつつ流して、高確率で来るであろう明日もまた、自己満足をコツコツと積み上げていけばよい。
僕はここに縛られていない。
どこへでも行ける。
やりたくないことを考えても意味がない。
やろうと思ったことをやれば良い。
それがやりたくないことを改善することにもつながっている。
僕が僕であるために。
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