私の言葉が、「いいもの」であると思えない。
だから、私が「いいもの」だと思った言葉を思いつく限り書き出そうと思う。
著作権的なものは気にしないでおく。
ここに書くことがその人に影響を及ぼすとも思えないからである。
「人間、万事塞翁が馬」
「良心に恥じぬという事だけが我々の確かな報酬である」
「明日地球が終わるとしても、私はリンゴの木を植えよう」
「運動のみが魂を支え、精神を高揚させる」
あれ、これだけしか思い出せない。
場面場面で色々と思い出すのだけれど、どうやら今はそれらを必要としていないらしい。
あの本やあのノートを見返せば、いろいろ書いてあるが、そんなことがしたいわけではない。
言葉とは関係がないが、デモクリトスという人の存在が頭から離れない。
原子論を作った人。
その発想は師であるレウキッポスから学んだという。
紀元前のミレトスからアブデラに移り、学派を築いたとされるレウキッポスは「大宇宙系」とう書物を著したと言われている。
まだ、電気が流れるという事も地球が周り回っているという事も発見、発表されていない時代の話だと思うとその発想の自由さに勇気がもらえる。
この現代においても、この自由さをもって世界(の認識)を変えようとする人がたくさんいるのだろう。
事実がどうであるかは、最期まで分からない。一人の人間が知ることが出来る事も理解できる事も世界のほんのわずかだ。
そのほんのわずかに人間一人のわずかなエネルギーをもって立ち向かった人々の功績の肩に乗っかり生きているのが我々である。
だからなんだと、自分で思ってしまった。
とりとめのないスケールの大きさと、まとまり無く点在する空想が、頭を混乱させているようだ。
この感覚が嫌いではない。目の前の事が一切見えなくなるが、心地がいい。
アルコールなんかより、よっぽど頭がふわふわするし、痛くなる。
そして、今夜もまた、この記録の意味の無さと、充実感に笑いを浮かべる。
素直であって、素直でない。
もう何が何だか分からない。
そう書くことで少しずつ分かってしまう。
分かったと思えば途端に分からなくなる。
再現性がない。
しかし、同じ過ちを何度も繰り返す。再現してしまう。
とても人間してると思う。
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