記録/2021.08.19

日記

大抵のことは聞けば解決する。

解決するというのは、正しい選択が出来るという意味ではない。

事態が収束するという意味で解決する。

それを解決としていいのかは、人それぞれの考え方によると思う。

仕事はとりあえず終わらせる事が重要である場合が多い。

そして、どんどんアップデートしていくこと。

その過程で心が折れないような、考え方、姿勢を身に付けておかなければならない。

と、引っ込み思案で小心者ゆえに、死にそうな僕がえらそうなことを言っても、説得力はないが、それではここに書く意味はなんであるかと言えば、これを書いている時間がまさに僕を生かしているからである。

自意識過剰で、小心者、プライドだけが高く、能無しの僕はこの世界に価値をもたらさない。

自分で自分を好きでいる以外に自分を保つ方法はない。

だから、自分を慰める方法としてこのような手段を使っている、いや、これしかないと狭窄視野に陥っているのかもしれない。

世の為、人の為、それを自分の信念で実行している時間が、他人にも自分にも良い影響を与えるというがなかなか行動に移すことが出来ない。

そもそも、何をしたらいいのか。

この時点で自分さえよければいいという性格がにじみ出ている。

他力本願。自分の楽しいという感情まで、他人にどうしたらいいか聞くような姿勢で生活をしていたら、そりゃ、自分とは何なのかとか、自分がないとか考え出して、しまいには何もかも意味がないと訳の分からぬ概念を持ち出して、死にたくなるのは必然ではないか。

そこまで、明文化して書いているにもかかわらず、行動が一向に変化しないのは、僕がまだ他力本願でいる証拠か。

明文化する事が目的で、行動を目的としていない。むしろ、必要とすらしている。

分かっている。この気分を解決する方法を僕は知っている。

友達に会い、一緒に笑うだけでいい。

それが、どれだけ難しい事か、小学生低学年の時の僕は知らなかった。

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