僕は頭が悪いね。
何をしたいのかが分からないのは、誰にでもよくあることだが、何をするか何をしているのかも、それも分からないとくれば、いよいよあやしく、それが何をもたらすのかなんて未来はもちろん分からないまでも、何をしていたのかすら分からないとなれば、それはもう、自分というものを手放しているといってよい。
どこより生まれたかも知らず、いつの間にか此処にいて、ときに勢いよく、ときにゆるやかに、その場の仲間と流されて、個を思う事の無力さに打ちひしがれていきつく先は、流れという流れもなく、あったとしても巨大が過ぎて方向などとても分からない、大海であった。
沢、川、海、逆は無い。
常に世界は広くなり続けるがゆえに手元しか見えない。
そして、その果てしない大海にも底があることを知り、大海の上に果てない空があることを知ったとき、いよいよ私は塵となった。
諦め。
いや、そうではない。
軽くなったのだ。
重い腰を上げるまでも無く、吹けば飛ぶ身軽さがあることを知ったではないか。
塵の私には神と思しき星という存在も、その質量ゆえに縛られているのであるし、スケールが変わるだけで、相対的には見え方に差異は無く、どこにあっても思う事は同じ。
どこにもいけないが、吹けば飛ぶのだ。
吹く風に乗れば、どこかへ行ける。
風に乗るか、波に乗るか。
風に乗りたければ、気球を用意しろ。
波に乗りたければ、サーフボードを用意しろ。
そこにある方向は経験し学ぶしかない。
その方向も強さにしても、時とともに移ろうけれども。
ああ、これが勉強か。教養か。経験か。時代に乗るか乗らないか乗れないのか乗せられているのか。
私はぶつくさと言って何もしやしない、頭が悪いからダメなのだ。
臆病だからダメなのだ。
世界で一番の臆病者にこそ世界で一番の夕焼けが見えているのだと、そう信じる事でなんとか生きながらえる。
そして、もう一つ。
もしかしたら、みなそのような世界を見ながら、あの活力を演じているとするならば、私はその時はあの夕焼けと同じくらい、世界に騙されて世界を愛そうと思う。
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