自分の設計したところにミスがあった。
機械の動く範囲をきちんと確認していなかったからだ。
横着したわけでも、焦っていたわけでもない、もちろん適当にやったわけではない。
原因は無知である。
同じ失敗はしない。これは意気込みではない。経験が一度ありさえすれば当たり前に気づくことだ。
きちんと、理解したうえでコミュニケーションを取り、必要な情報を得て対処したので対応は完璧だ。
と、それはいい。今日は気まぐれで仕事のミスを書いたが、正直いつもの事だ。
問題ない。
今日もやりたいことをした。ここ数カ月は上司に仕事をもらいに行かなければ仕事がないなんてことにはならず、むしろ、上司の仕事を徐々に奪っている。
分かることも増えてきたので、上司が適当な仕事をしているところを、ちょこちょこ直したりしてる。
別に上司を責めたいわけではない。上司はもっと難しい仕事で、余裕なんてないのは明らかに見て取れる。だから適当でいいという事にもならないけれど、現実、今のやり方では無理もない。かといって、やり方を変えるという向上心も常に持てるわけではないし、画期的な仕組みがすぐに考えつくわけでもない。
とにかく現実として適当な面は存在する。そういう習慣がついている。
繰り返し。だからこそ僕も気づくことが出来るのだが。
僕がその適当な部分をフォローしようというのは、親切心というわけでもない。
その問題は後になって議題に上がる。その尻ぬぐい的な対応は、なんと僕のような立場の人間に回ってくることを知ったからだ。
前もって手を打てることが見えたのでしているまでの事だ。
僕が出来る人間ではない事は、僕が一番知っているが、それでも、僕くらいでも理解している人がもう一人いればと考えるのは、皆同じだろう。
人が足りない。人不足をカバーするアイデアが足りない。
たぶんどこまで行っても、この問題は付きまとう。パーキンソンの法則。
だから、やりたいことをする。やりたいことというのは、何も後の快楽を確信する行為だけを指すのではない。こうしてみようかなと、少しでも思ったら、やるのだ。素直に。それが、「今」を良くしていく。最近はそう思う。
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