一週間があっという間だと思った。
一年もあっという間だと思った。
「仕事が分からないヤツ」から「仕事ができないヤツ」に昇格を果たしたこの一年は、慣れない環境への順応という意味でキツい一年であったはずだ。
その一年ですら、早いと感じるということは、「慣れ」の入ったこれからはもっと加速していくだろう。
きっと、ほんとにほんとにあっという間なのだと思う。
やりたいことリストを書いてみた。
100項目書こうと意気込んで臨むも、序盤から全く手が進まなかった。
15個くらい書いたとき、僕は幸せ者だと思った。
やりたいことがないということは、今のこの生活にほとんど不満なく生きられているということではないか。
積極的に何かに挑むというような方向でやりたいことが思いつかないと捉えると、残念な感じがするけれど、今の現実から逃れたいという意味でのやりたいことが考え付かないというのも、それはそれで幸せなことだと思う。
たぶん、これをしたいという事柄があるのではなくて、充実感だとか、達成感といったものを求めている。
自らの期待に自ら応えるというプロセスを欲している。
自己満足。それも、確かに重要なことだと思う。
でもたぶん、そのプロセスによって、他者に良い影響を与えられるということがあれば、至上の喜びなんだと思う。
他者を思うと急に臆病になる。
他者を見下して安心したり喜んだりするのが人間なのだと、骨の髄までしみついてしまった僕の人間観は僕を弱いものとして振る舞うことを強いる。
誰の上にも立たない僕は、誰かの上に立ちたい人たちの役に立っている。そういう思想だ。
なんて卑屈。そしてずるい。
人はよく分からない。見下したいくせに、先導する存在にはなりたくない。
ちょうどいいポジションを欲しがりながら、平凡を嘆くのだから、手が付けられない。
こんなことを考える意味はない。
しかし、考えたことを記録する意味はある。良いも悪いもない。
ただ、その時間があったことの証明になる。それが僕の救い。
誰のためにもならない。僕が僕であったことの証明としてのこの言葉たちは、僕だけに価値がある。
その意味で僕に純粋である。
毎日更新したいと思う。
気張っては続かない。良い事を書こうと思っても、自分の為にはかけない。
人間だから。自分の為だけにご飯を作るのが面倒なように、相手なくしては良くも悪くも創作というモチベーションは湧かない。
とにかく、喜ばせたい人を少しでも喜ばせる文章が書きたいと思う。
喜ばせる話が出来たらもっといいと思う。
存在自体が人を喜ばせるようになったら、その人は神になったということだ。
私は神になりたい。神に。
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