明日が来ないかもしれない。
もし明日が来ないと確実に分かったなら、私は薬をやる。
しかし、明日が来るかどうかは分からない。
つまり、明日が来ないとしたら何をするかという問いに対する答えを、今実践した方がよいとは言い切れない。
明日が来なければ価値をもつ行動も、もし明日が来るのであれば困るなんてことだった場合、絶対の価値を持たない。
そんなわけで、私は薬をやらない。
そこで妥協案を考える。
明日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。そのどちらの可能性も鑑みて、何をするかということを考える。
仰々しく言葉を連ねてはいるけれども、生きている人々が常におかれている「当たり前」の状況を言葉にしてみただけのことである。
言うまでもないことである。
それを、私は言った。
つまり、暇人である。
超・暇人である。
暇人バンザイ\(^o^)/
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