気が付けば、もう年の瀬である。
気が付けば記録は途絶えていて、一週間の真ん中を控えて早くも疲労困憊の感を抱きつつある。
さて、土日月と何があったろうか。
何も書くことがなかったのであろうか。
いや、むしろ何かあったからこそ書いていないのである。
となると、これを書いている今日は特に何もなかったということになる。
これは非常に正しくて、何もないからこそ、何かを残したくて記録なるものを書いているのである。
何かについて、論じていると長くなりそうだから、土日月と何があったのか、さらっと思い出し書いておこう。
先月初めあたりから会社の同年代の若者3人と親しくなり、今までに2度、飲み会をしている。
同年代といっても、私だけが少し年の離れた最年長で、私は皆にため口であるが、皆は私に敬語を使う。
といっても、皆私に先輩として気を遣うという風でもなく、敬語なのは口調だけで、内容に忖度はない。
そんな気楽な関係が築けたところで、私は、慣れないことをしてみたくなった。
忘年会をしよう。そう呼びかけたのである。
そうして、それが土曜日の夜、実現したというわけである。
場所は、私の家。
そんなわけで、土曜の昼は掃除と買い物。夜は料理と飲みと仕事の愚痴とゲームで夜更けまで、にぎやかに過ごした。
私がなにかパーティゲーム的なものがあったらやるだろうか、と昼のうちにヨドバシで買ってきたアルゴという数あてゲームが思いのほか盛り上がってきた頃、終電の時間が近づき、解散となった。
そして、数分後。終電を逃したので、家に戻ってゲームの続きをしたいという依頼の電話が飛び込んできた。
私はいよいよ面白いことになってきたぞと思い快諾したのであるが、戻ってきた若者たちは、申し訳なさそうであった。
そして、お詫びの午後の紅茶ストレートティーを飲みながら、夜明けまで、若者と過ごした。
日曜日、私は昼まで寝た。
頭は痛く、体もだるい。大学生のころの、自堕落な生活を思い出した。
寝ても寝ても頭が痛く、だるさが抜けない不思議を思い出した。
文字を追うことも、映像を追うことも、音を聞くことも億劫で、私は料理をした。
夕べの鍋の食材が余っていたのである。
具材の寂しい鍋を食べて、至福の気持ちになり、私は毛布にくるまった。
ニトリで買ってきたごろ寝クッションはとても気持ちがよく、幸せだった。
騒がしさを感じたばかりだからか、家の静寂が柔らかく暖かく感じられた。
無音の中に、生きている幸せを感じた。
何もする気にならないことを許容する余裕があった。
空をかつてないほどに味方だと感じた。
部屋と一体化したような心地で、泥のように眠り、気が付けば次の日の朝だった。
仕事である。
疲弊した人や、疲弊を装った人間の巣窟へ向かう。その点は、ため息ものである。
いつも通り、やろうとしていたことに上塗りに上塗りがされて、終わらない。
しかし、人事は尽くした。そして天命を待つことはなく、明日は来て、また人事を尽くす。
そんな自分を、責めたりはしない。
でも最近思う。
自分に嘘をついている気がする。
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