記録/2021.12.20

日記

毎日、朝起きるとまず空を見ます。

今日の朝焼けは橙の色濃く、きめ細かい表面をした捉えどころない冬の薄い雲が、その輪郭を橙と黄色の間の激しい蛍光色で縁取られ、まあ、それはそれは綺麗でした。

生き残りの波長。

これが通じる人がいるでしょうか。

その人とは空について、語り明かしたいものです。

夕焼けを見るために生まれてきたと言っても過言ではないと豪語する変人とお話をしたいものです。


一つ発見がありました。

正しく地味であることは、他人を喜ばせることが難しいですが、やはり私を助けます。

私は自己中で構いません。

物理図録と生物図録と地学図録を買ったことは間違いではなかった。

空がなぜ綺麗なのかも、私にはついぞ分からずじまいで死んでいくでしょうが、出来れば納得のいく文章でその綺麗さを、あくまで私的真実として遺したい。

その為に小説を読んでいるのかもしれない。

自然主義文学にでも、手を出してみようか。

太宰を読むのはもうよした方がいいかもしれませんね。

どちらにせよ暗い感じですけれども、もしかすると島崎藤村の方が肌に合っているかもしれません。

ああ、もうチャグムやエリンのようなファンタジーにドキドキする自分をイメージできません。

それが今は悲しい。

朝日の照る空に王獣の羽ばたくのを夢想する純粋を私は忘れてしまったようです。

創り出してみようか。現実に絶望し、憔悴し、療養として生まれたのが「吾輩は猫である」。

図録生まれのファンタジー。それが、帯のキャッチコピー。ダサいことこの上ない。売れない。

なんて空想は楽しくないか。

楽しいなあ、そこまでは。

創るのは苦しいよ。楽しくないとは言わないが、楽ではない。

決断と納得の格闘。

と、何か生み出してから言いたまえよ。

納得のいく決断だけで物事が進めば太平天国な世の中であるが、そうではないのが現実らしい。

そして、評価というものは、個人の納得とはまったく別の物差しで測られるゆえに、世知辛い。

とその前に、評価されるというステージに行く。それだけの熱量と気概を持たねばならぬ。

私はもう隠居生活でいい。

空を見て、風を感じて、生きる。それで、幸せなのに。なぜ。

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