見えないものは見えない。
しかし、存在を検知し、検出する技術を人間は持っている。
人間が生来持っている感覚器官では、もしかしたら検知しているかもしれないけれど、少なくとも私はそれを認識出来ないというものがある。
可視光以外の電磁波や磁力といったもののことだ。
ほかの人もおそらく直接認識することは出来ないと思う。
しかし、世界には人間の検知できないものを検知できる物質があったり、生物がいたりする。
そういう不思議を発見した人々が、途方もない時間をかけて不思議を扱う術を開発してくれた。
今も一部の人はそういったものを考えてくれている。
それらは、現代の生活のあらゆるところに浸透している。
複雑さをうまく隠して洗練されたモノに溢れる生活は快適で、二度と手放せないと思えるほどだ。
これ以上何を、と考えてしまうのは人間的ではないらしい。
足りないと思う部分、改善したい部分、それを考え解決するのが仕事みたいだ。
私は、もう十分だと思ってしまった幸せな人間であるがゆえに、他者からは価値があるという評価は得られないだろう。
頭が悪い。の一言は広義すぎてただの卑屈にしか思えない。
もうちょっと狭義にすると、頭を使うような問題を持っていない、つまり鈍感という事だ。
それでも、生きていかなきゃならないし、他者との関わりを避けることは難しいから、たいそう迷惑はかけるだろう。仕方ない。
問題に気付いたら、その時は遅まきながら対処していく。それでいいと思う。
私は鈍いし、馬鹿で、愚かかもしれない。
それでも、積読しているもやもやを少しずつでも解決していくことを諦めたくはない。
今日は電気と力の関係の理解が少しだけ深まったような気がした。
一日に出来ることなんて、わずかだ。
期待しすぎてもいけないが、放棄してもいけない。
わずかに進む。それが一日という時間の単位だ。
そして、わずかに成長するには十分な時間だ。
自棄になっても何ら問題はないが、それでも時間は過ぎてゆく。
自分に厳しい事を書いているように見えて、真逆。
しかし、生きる努力であることは間違いない。
楽しい楽しくないとか、辛い辛くないの感情は問題としていない。
身も蓋もないことを言ってしまえば、私が他者を観察する限り、健康な精神状態、幸福感というものは人間関係がすべてであるように思う。
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