これが好きだと言えば、では、こちらは好みではないだろうと推測される。
何かが決まれば、当然のようにそれをとっかかりとして、定まってくるものがある。
ぐだぐだ考えているより、行動しろという言葉は悩んでいる人に向けたアドバイスとしてよく聞く言葉だ。行動という言葉は馴染み深い言葉で影響力が強いと思う。
しかし、行動しろというと、つい体を動かすだとか、特定の環境に身を置くことをイメージしてしまうが、それはアドバイスする側からしたら少しずれて伝わっているように思えてならない。
アドバイス者にとって、相手の悩みが解消されれば一番だが、そうでなくとも悩みの性質が具体的になっていったり、方向性が定まったりするような変化を望んでいるはずである。
しかし、なかなか効果を発揮しない。
よく用いられる割に、言う側も聞く側も、スッキリしない言葉ではないだろうか。
悩みが漠然としたものであるほど、暖簾に腕押しなやり取りになってしまうように思う。
よくよく考えると、考えるなというのもおかしい。考えずに行動できるものだろうか。
行動するとはどういうことか、考えなければならない。
肝心なのは、決めて、実行せよということだ。
何かを決断することで、その決断が具体的な行動を強制する。というところに議論を収束させることが、アドバイス者の目標となる。
目標も決断もなく行動するのは、そもそも行動ではない。
本能的な目標によるものでもなければいよいよ傀儡である。動作である。ただの反応だ。
いたずらに急き立てて動作させても、たいてい問題が増えるだけである。
さて、この文章は行動だろうか。目標はあるか、決断をしたか、何かが定まってきたか。
おせっかい教訓のできあがりだ。
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