記録/2022.05.30

日記

孤独です。

どうあがいても孤独は孤独。

あがきの手段は数あれど、孤独感を忘れるという目的に対しては瞬間的な効果があるだけだ。

酒を始めとする食事、運動、読書、映画、ゲーム、宴会、スポーツや歌、踊り、学びと創作。

そして、交わりとドラッグ。

最後の1つは未知だが、同じ事だと推測している。

同じというのは、同様または過剰に繰り返しを求める行為という点から、そう判断した。

手段とは輝かしく素晴らしい人間の活動そのものである。

しかし、それらは孤独を忘れる効果を持ちながら、同時に孤独を知る経験でもあった。

果たして孤独とはほとんど人間の事を言っているのではないか。

ダチョウには到底訪れぬ感慨の境地だろう。

ずいぶんと広く根深く根強い、それこそ本質に近いもののように感じられる。

もしそれが本質という事であれば、それを行動の起源としているという意味で、人間は孤独を変換し人間社会を形作っていると言える。

その視点で、対象を一個人に絞って観察すると、見えてくるものがある。

そこにいわゆる、人間性というものがある。

といっても、観察できる範囲はごく一部であるし、同じ事象を繰り返し実験することは叶わないので、微量のサンプルから推し量ることはできても、未来を予測するにはほとんど意味を成さない妄想である。

ほとんど全てが妄想である。

私はこの「ほとんど」に興味と期待を抱き、夢見ている。

つまり私は人間である。

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