孤独です。
どうあがいても孤独は孤独。
あがきの手段は数あれど、孤独感を忘れるという目的に対しては瞬間的な効果があるだけだ。
酒を始めとする食事、運動、読書、映画、ゲーム、宴会、スポーツや歌、踊り、学びと創作。
そして、交わりとドラッグ。
最後の1つは未知だが、同じ事だと推測している。
同じというのは、同様または過剰に繰り返しを求める行為という点から、そう判断した。
手段とは輝かしく素晴らしい人間の活動そのものである。
しかし、それらは孤独を忘れる効果を持ちながら、同時に孤独を知る経験でもあった。
果たして孤独とはほとんど人間の事を言っているのではないか。
ダチョウには到底訪れぬ感慨の境地だろう。
ずいぶんと広く根深く根強い、それこそ本質に近いもののように感じられる。
もしそれが本質という事であれば、それを行動の起源としているという意味で、人間は孤独を変換し人間社会を形作っていると言える。
その視点で、対象を一個人に絞って観察すると、見えてくるものがある。
そこにいわゆる、人間性というものがある。
といっても、観察できる範囲はごく一部であるし、同じ事象を繰り返し実験することは叶わないので、微量のサンプルから推し量ることはできても、未来を予測するにはほとんど意味を成さない妄想である。
ほとんど全てが妄想である。
私はこの「ほとんど」に興味と期待を抱き、夢見ている。
つまり私は人間である。
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