記録/2022.06.09

日記

私には大変苦手としているものがあります。

それは、ゴールから逆算してその道筋を考えるという事です。

まず、ゴールを決められない。

決断力も欠けているかもしれません。

逆算の思考は全くないわけではないと思われます。

ゴールさえ与えられて到達を強制されれば見事達成して見せるだけの思考力が備わっていることは、数年ではあるけれども、仕事をして経済的には何とか自立して生きていけていることから、認められると思います。

私がこの苦手を特に気にしている理由としましては、ゴールを思い描き、その道筋を想像し、妄想し、行動し、突発的ではなく、準備のある状態での予想外の経験から新たな予測と計画を立てていくというプロセスが、私にはどうにも輝かしく華々しくそれでいてどっしりとした充足感のある楽しみではないかと思われるところからきているのです。

ゴールを決める、そして道筋を考える。

やりたいことは、それだけなのです。

それだけが、なぜか私という人間には途方もない贅沢のようにさえ思われるのです。

これ如何に。

全体像を見据えて、具体的な部分を詰め、全体像と部分の整合が取れていることを確認し、これを理とする。その姿勢を持たなければ、組織立った成果物はなかなか作り出せるものではない。

全体と部分の関係をゲシュタルトという。

この関係が崩壊することをゲシュタルト崩壊といい、部分が全体の構成要素として認識出来なくなり、また全体としての意味も分からなくなるといった具合の現象を指す。

セレンディピティによって得られる発見は確かに刺激的で神秘的で革命的ではあるが、それ自体で完結するものではなく、何かに利用する上で革命的なわけで、構成要素にすぎない。

私は全体像を見たい。この思考癖はどうつけていけばいいか、それを考えることもまた全体を見渡すための階段の一部かもしれない。

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