私は今、荒れている。
何もかもフラットにしたい。
これはオブラートに包んだ表現である。
地球を更地に出来るならばどれほど気持ちがいいだろうかという妄想が断続的に押し寄せ、夢想にふけり、切望する私の心情を私が容認しかけている。
私がもし、1人であったならはすでに何らかの行動に出ているはずである。
人間は一個体に一人格ではないことが功を奏した。いや、そもそもそういう設計になっている。
他人がどうでもいいのに、考えるのはいつも他人のことである。
これはどういった了見であろう。
これが人間かと、問う。
これが人間だと答える。
いつだって問うているのは世界で、答えるのは私なのだ。
それが、孤独であり、自由ということか。
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