望遠鏡は、見えない程遠い世界を見たいという欲求から。
顕微鏡は、見えない程小さな世界を見たいという欲求から。
そんな学問的研究の道具ではなくとも、家電量販店に売られているようなあらゆる製品は、人々のあらゆる欲求(ここではロマンと言い換えたい。)の為に生み出された。
素晴らしい。
ただ、今の時代は物質的豊かさがエスカレートしているように思われる。
欲求を満たすことが可能である状況は用意されているものの、あれもこれもと目の前に用意されるものだから、目移りが激しく、私たちの脳は、シンプルな選択を放棄する。
自分で選ぶということをしない、出来ないあなたが悪いと言われればその通りだ。
しかし、状況を観察すると、そんな現象が起こっている。
まずはそれを認識することで、改善へのとっかかりにしたいと思う。
手中に入れたものを愛でるという楽しさを思い出したい。
少しだけ勇気を出した。
1人が好きでも、たまには目的もなく人と話したい時がある。
1人が好きでも、誰かに対する興味が湧く。
自分のこれからしようと考えた行動について、不安や恐れから、やめておこうと選択する時がある。
とりわけ、人間関係においてはそれが多い。
それが杞憂だと知ってはいるつもりだ。天は崩れて落ちてこないのだ。
人間関係に限らず、ものごとには自分に知りようのない、どうにもならない部分というものがある。
自分の行動を決める際、その部分を理由にするのは間違っている。
それは根拠のある理由ではなく、ただ自分の中だけで完結している妄想である。
妄想に対する恐れを無視し克服し、行動に移してこそ、事実を知ることが出来る。
そしてそれが成功体験として記憶され、妄想に惑わされることがなくなっていく。
失敗するかもしれない。しかし、それは事実として価値がある。
妄想に価値はない。妄想により事実を知る機会を失うことは悪だ。
恥はある、後悔もある、反省もある、しかし、価値がある。
ささやかでも楽しみがあれば、それは妄想による快楽、安寧より何倍も価値がある。
そういう日々を過ごしたい。
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