まずは出来ると思う事。
純粋無垢、純朴、素直、実直を絵に描いたような私という人間は、仕事を上司にもらった時、私より物事がよくわかっていらっしゃる上司が私に振った仕事なのだから私に出来るものだと思い込んだ。
今は、上司がたとえ物事を分かっていたとしても、私の実力を分かっているはずはなく、それを推し量って適度な難易度の仕事を振るなんてことをするはずがないという事を思い知ったが、当時はピュアだった。危ういほどに。
結果的に期待通りの仕事を出来たためしはないだろう。今もこの仕事場にいられるのは、人手不足という幸運の為である。
仕事を始める際、しばらく手が動かず、頭を痛めているだけという時点で何をどうしたらいいのか分かっていないし無能の給料泥棒状態のだけど、それでも自分以外の人に文句を持たず、ゆっくりではあるが、問題の本質と解決に必要な情報の仮説を立て、足りない情報は集めるという事を次第に行うようになっていた。
最近は同じようなパターンが増え、そのペースが速くなり、期待通り、つまり通常業務レベルは及第点レベルでこなせるようになってきたという段階だと思う。
まずは出来るものだと思って取り掛かる。あらゆる手段と無限の時間をかければ出来ないことはない。
あとは、手段の選定、時間のかかり方を見積もって、やるかやらないか、時間制限があれば、出来るかできないかを判断する。
問題に取り掛かる時の当たり前の思考、義務教育からやってきたこと。
当たり前すぎることではあるけれど、言語化できるところまで、具体的に自分の思考として鮮明に認識出来るようになったというところが重要。
無意識でも出来ていればいいかもしれないが、意識下におけることで、応用が利くようになる。
まずは出来ると信じる。時間と手段の制限をいったん無視して考えることで、具体的なことが分かってくるから、それから出来る出来ないを判断したらいい。
これは問題解決の楽しさを諦めない教訓。
まずは出来ると思って取り組むこと。
しかし、敬愛する森さんはこう言っている。
「人間の本当の能力とは、問題を作ること。何が問題なのかを発見することだ。」
と、私は人間としての能力をまだまだ発揮していない。
問題解決の楽しさを知ったところで、これから徐々に問題を発見するという視点を持つようにしたい。
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