語り/2020.11.04

日記

書きたい。

けど書きたいことが浮かばない。

そして本を読んでみたり、アニメを見てみたり、音楽を聴いてみたりする。

もちろん、それら自体は楽しい事なのだけど、最初の書けないとかいうまるで作家気取りのいけ好かない思考が頭から離れない。

誰に読んでもらうわけでも、誰かが待っているわけでもない。

ただ、書くことに意味を感じる自分と書くことに酔いたい自分が、書けと僕を煽る。

そんなわけで、遺したいほど価値を感じる気づきを書くなんて崇高な理念は打ち捨てて、書けないという感情そのものを吐き出すことにした。

そんなことを書く意味?

そもそも意味なんてものは、どこにでもあるし、どこにもないものだ。

あると思っていたのに、気づくと無かったりする。

逆に、ふと確かな意味を感じることもある。

幸せかどうかを考える事と同じくらい、意味を考えることは贅沢な問答だ。

贅沢はほどほどに、たまに嗜む程度が良い。

さて、こんなしょうもないきっかけでも手を動かせば文字は連なっていくものだと我ながら驚く。

冒頭に書いた通り、特に書きたいとうテーマは無いし、生活をしていて疑問に思ったことだとか感動したこともない。

気付きの乏しい、貧しい人間だ。

ああ、このままとことんネガティブ文章突き詰めてやろうか。

それも、中途半端になるだろうな。

僕は今、特に世の中に不平不満不安をまき散らしたい心境ではない。

不平不満すら平穏な日常の一部となっている。

だから今は、いつか外側に表現したくなった時の為に、自分を創るイメージで本を始め、アニメやお出かけといった自分の行動を決めている。

インプットの行動をしても大半の事は忘れていく、何もかも辞めたくなるほどに虚しくなる。

しかし忘れられない事や何故か後で思いだす事というのはインプットなくしては絶対に起こりえない。

思い通りにはならないが、インプットが確かに自分を創っている。

前回の記事にも同じ事を書いた。

マイブームらしい(笑)

そうだ。特にテーマの与えられない文章は日記のカテゴリーで投稿してしまおう。

そうしよう。

んでもっと気楽に頻繁に書こう書こう。

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