テーマを持った文章
感情を言葉に乗せて、文章を書くことは出来ることが分かった。
これは、言葉という知識を与えてあげれば幼稚園児でもできることだ。
幼稚園児のほうがよほど素直でおもしろい文章が書けそうに思える。幼稚園児が文章を書けないのが惜しい。話がそれた。
書くことについて、僕が次にやらなければならないことは、得た知識を使う事だ。
得た情報について、まとめ、どう思ったかを書く。これが出来れば、書き出した文章の輪郭がより鮮明に形作られるはずだ。
今は、ふわっとした感情を抽象的に抽象的な言葉を使って、雰囲気だけ表しているに過ぎない。
後で自分で読み返しても、とりたてて考えるほどの情報がないことに気づく。過去に残してきた僕の文章は、愛しさこそあるが、面白くはない。
こいつはいつまで自分の事を自分の中だけで安全な所でだらだらぬくぬくと考えているんだと叱責したくなる。しないけれど。
むやみにあせってはいけません、ただ牛のように図々しく進んでいくのが大事です。
夏目漱石
神様のカルテで漱石かぶれの医者、栗原一止がよく言う夏目漱石の言葉で、よく思い出しては勇気をもらっている。
だから、これから短くても何かをテーマに文章にまとめ、感情と一緒に記録することを始めてみたい。
何かを書こうと思った時、できるだけ、テーマを決めよう。
テーマ以外のことが思い浮かんできてしまったら、別のところへメモしておき、あくまで一つのテーマとしての文章を作り上げる。
これが出来たら、僕は自分の創作物を作ったと誇れる気がする。
気がしそうであるなら、やらない選択肢はない。うまくできなくてもいいのだ、自分にさえ嘘をつかなければ、進めるのだ。
テーマ:高圧的な上司
はじめに
これは、上司に対抗したり、うまくかわしたり、逆にそんな上司をうまく使ったりといった、ハウツー的な考えではない。
人は変えられない。変えることが出来るのは自分の思考だけというスタンスで物事を考える今日の僕の思考をつらつらと書くことにする。
知識の活用
そんな言い方しなくてもいいのにと思えるほどに高圧的な態度と物言いをする上司がいる。
この手の上司はどこにでもいるのだろう。この悩みはネット検索したらいくらでも出てくる。
ちなみに、僕は今はあまり見ない。昔はよく答えを求めてあらゆる悩みについて検索していたが、僕は情報の取捨選択と実践が恐ろしく下手らしく、その知識を実際に使えた試しがない。
今日の悩みは仕事中なので、検索は出来ないからその場で考えた。
そういうときになって、ネットや本で得た知識や物語の場面が急にうかんできたりする。
つまり、問題に向き合い脳を使わざるを得なくなった時、初めて脳のデータベースにため込んだ知識が引き出されるのだと感じた。
僕は知った。自分の脳が知識を蓄える事をしていてくれたことと、使う事をサボっていたことを。
だいぶ、サボっていることを。
課題の分離
今日思い出した知識というのは、アドラー心理学の「課題の分離」とデカルトの「困難は分割せよ」の2つの言葉だ。というより、「困難は分割せよ」から「課題の分離」ってのがあったなと思い出した。だから、使うのは課題の分離がメインになる。
恥ずかしながら、どちらの言葉もその出どころだとか、本来の用いられ方について詳しくは知らない。
いや、何も知らない。ただ、言葉を知っているというだけだけれど、それでも考える手がかりにはなってくれると知った。
課題の分離。この言葉について、本物をよく知らないから僕の中での使い方を説明する。
一言でいうと自分の問題と相手の問題を分け、相手の問題は自分の問題から切り離すこと。
この考えは使い方を勘違いすると、只の無責任な人になってしまうので、あまり表面に出すと反感を抱かせかねないので気をつけないといけない。
といっても、使おうとしてもなかなかうまく使えないのだけど。
今回はたまたま、この考えが降ってきた感覚であって、使おうとして使ったわけでもない。
引っ張りすぎた。
今回の用い方はこうだった。まず、状況を説明する。
<状況>
自分の仕事の提出物のチェックで、ミスを見つけるとあからさまにため息や小言といった苛立ちを表に出してくる上司に対し、畏怖や不安を感じる時。
一度気にしてしまうと、仕事が手につかなくなる。それほどに、失敗と説教を恐れてしまう。そして、開き直るほどの度胸もない。
上司に好かれる為にご機嫌取りなど出来るわけがないし、仕事のミスがなくなるわけでもない。
ただただ、精神をすり減らす時間を過ごし、最後には大目玉が飛んでくる。こんな絶望的な状況を自らの内側で解決するには、考え方を考えるしかない。
そこで、課題の分離だ。この時、誰に、どんな課題があるかを考える。できるだけ細かく分けた方がいいだろうが、僕はまだまだ未熟なので簡単にしか分けられなかった。
今回の場合こう分けて考えた。
<自分の課題>
1.自分の仕事のミスをどうにかする
2.不安な気持ちをどうにかする
<上司の課題>
3.部下の仕事のミスをどうにかする
4.イライラする気持ちをどうにかする
なんと上司のイライラする感情は僕の課題ではない。笑
これは上司が自分で解決するべき問題なのだ。
いや、イライラさせているのは自分のせいだから、そんな風に考えられないと思う人がいるかもしれないし、僕も少し思った。
では、自分の課題を見てほしい。1と2は自分の課題として納得できると思う。
そして2.は今まさに実践しようとしている。
では「上司の苛立ちをなんとか取り除く」が課題になりうるだろうか。
いや、ならない。仕事を進めるうえでは1の解決に励めばそれでいいはずだ。
もちろん、ホウレンソウが出来ていない事だとか、伝え方が悪いとかの原因が苛立ちの原因なら、それも仕事のミスであるから改善に努めればいい。
上司の苛立ちは、上司の課題
上司の苛立ちは、上司で何とかするべきだ。そもそも、イライラしなければ仕事が出来ないのか。
世の中の部下を従える人間全員が苛々しながら仕事をしているのかと考えれば、いや、そうではない人もいるだろう。
今、自分を棚に上げて、上司目線の部下を育てるという目線だけを考えれば、苛立ちを部下にぶつける事がどれだけの意味を持つのかと問いたくなる。
すくなくとも、僕という人材を育てるとう観点で見れば得策ではない。(いや、僕が今、こういったことを考えていて成長を捉えるなら、上司に育てられていると言えなくもないのか。うーん納得し難い。)
つまり、苛々している姿を見たりや声が聞こえても「苛々して大変だな~」くらいに思っておけばいい。
あくまで思うだけ。
情報の仕分け
説教を頂いている時は、自分の課題「仕事のミスをどうにかする」ことに集中する。
となれば説教の情報の中から、そのために必要な情報だけを気にすればいい。
もし、単なる暴言や聞いてもどうしようもないただの「ダメだ」といった言葉は無視すればいい。
ダメだとわかりきっている部分に対して「ダメだ」と言われても、ダメなのはわかってる!ということになる。
もし気付いていなかった部分の指摘という事であればその一言にも価値がある。
しかし、言い方で僕に与える印象は悪く、適切な指摘方法かと問うてみたら、なんと答えるだろう。問えないけれど。
ここまでやっても、うまく不安はなくなってくれないかもしれない。
でも、こうして課題を強引に振り分けてやると、少なくとも自分が今集中して取り組まなければならないことは、はっきりしてくる。
不安ばかりを考えるということはなくなる。
それだけでも、この考えを取り入れるメリットはあると思う。
もしかすると仕事のミスは減っていくかもしれないし、仕事熱心だと思われて上司からの見られ方が変わるかもしれない。
感情の分離
上司のイライラを取り除く方法が分かっているならやればいいと思う。
ここでは、その方法をとらない、とれないことを前提としてきた。
上司のイライラを取り除く、ご機嫌を取る。それはいわば、他人の感情操作だ。
その方法ばかりに依存するのは良くない。人の心はうつろうのだ。何がきっかけで、通用しなくなるかわからない。
悩んでいるとき、他人の感情と自分の感情を結びつけてしまい問題のありかがうやむやになる時がある。
そんな時には、この考え方で他者の感情を切り離してやるのは、問題解決を進める上で有効な方法だと思う。
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