会社に給料を上げてもらえと言われた。
どうやら僕の評価は良いらしい。
でもそれは、単に多くの時間を会社に「居る」ことを評価されているにすぎない。
僕は仕事はもちろん、生きることにも不熱心である。
不熱心ゆえに、いつまでも「居られる」だけだ。
そこに価値を感じる組織は僕の仕事の内実を見ていないのではないか。
ずいぶん勝手にやっている。
無駄が多い。ミスも多い。はたから見ればあくせく動き回り、いかにも問題を消化しているように見えるのかもしれないが、重要な点はすっきりと収めること叶わず、二度三度とミスを繰り返す。
ずいぶんと浪費家である。
他人の金で遊んでいる。
救いようのないことに、他人の金で遊んで楽しくない。
楽しいとは何か。充実感とはなにか。
布団がいい香りだということ。昼ごはんが美味しいということ。
夕焼けはいつも感傷的に感動的に美しいということ。
月があるということ。星があるということ。
地球があるということ。
僕がいるということ。
そして何より、シャワーが気持ちいいということ。
風呂場は悩める場所である。すこぶる心地の良い精神と時の部屋である。
解決できる問題は、楽しくない。仕事は楽しくない。
解決していなくても、それで通ってしまう。
僕が解決できなければ、誰かが解決してしまう。
僕は僕の問題を持たなければならない。
問題がないから苦しい。
いつ死んでもいいから、頑張れるとは、なんの冗談だ。
やっていない。やっていないよ、僕は。
できてない。できてないよ、僕は。
ねえ、絵画の世界に何を期待すればいい。
埋め尽くされた本棚を前に、何をすることがある。
一瞬だけ。一瞬だけ、生まれた。
それでいいのか。いいはずだ。むしろ、それ以外にない。
泡沫です。なにもかも。
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