拝啓
ずいぶん長い間連絡も途絶えていたというのに、急なお便り大変驚きました。
いえ、とても嬉しかったですよ。
私の自宅のポストに入っているものと言えば、電気代かガス代、水道代の督促状を筆頭に、近所にできたピザ屋のチラシやご不在連絡票くらいのものでしたから、手書きで私の名前がしたためられた人の温かみある洋封筒がそこにあるというだけで、感涙にむせび泣きそうになったものです。
せっかくのお便りを涙で滲ませ、読めなくなってはいけないと思い、ぐっとこらえました。
しかし、あなたはミステリアスな人ですね。ちがいますか。
手紙には名前を書いているのに、封筒の差出人の名前を書く欄をあえて空白のまま投函するというのは特殊な嗜好ですよ。
単純に書き忘れ、早く私に届けたいあまりにチェックもせず、朝一のポストの回収に間に合うように慌てて投函したおちゃめさんであることを期待します。
私の口調、文体が少しばかり他人行儀で硬いのは、気恥ずかしいからだということを暴露しておきます。
さて、あなたはよく私の誕生日を覚えていらっしゃいましたね。
現在手紙のいくつかの文字は滲んでおります。お分かりでしょう。
あなたの目論見通りであることは言うまでもありません。
本来であれば、今日という日は何でもない日として、記憶の栞の一葉も挟まらないで明日に塗り込められるはずでした。あなたの手紙を読むまでは。
今日は私が「生まれて1万日目」なのですね。
人生100年時代と言われる時代ではありますが、80歳で大往生と聞いても違和感のないことを思えば、人生3万日という言葉もそれなりに現実味を帯びて感ぜられます。
私が「天寿を全うする」の1/3を生きられたことを喜んでいただけたのもそうですが、唐突なディスりにはあなたの気恥ずかしさも見え隠れしていて好感が持てました。
「おまえは単位をよく間違える。」
煩いよ。俺のケアレスミスは小学生からの筋金入りなんだ。当の昔に開き直ってしまったんだ。
しかし、今回ばかりは反省してみてもいいかもしれないと思ったよ。
なぜ人は自分の若さの程度と現状を年で判断するかとあなたは言う。
ティーン、アラサー、アラフォー。確かに皆、1年や10年を単位とするアバウトな括りでいつも嘆いているね。
私も確かにそんなセリフを漏らしたことがあります。
人生を思考するのに、年という単位は間違っている。あなたはそうおっしゃるのですね。
あのですね、単位を変換していると途端何を考えているか分からなくなってくるんですよ。
これ、物理を専攻してはいけない人の特徴です。
でもあなたの言わんとすることは分かりましたよ。察しはいい方だと思ってます。
安心してください。心得ました。
、、
最後に。手紙は難しいですね。
察しのいい私だから、あなたの文章を十二分に理解できたことをお忘れなきよう。
ともあれ私も文など常より書くことはいたしませんから、人のことを言えないかもしれませんが、この返書に限っては分かりにくさが発揮されていることを祈ります。
伝わってたまるか。
それでは、感謝の念に堪えないという、文字とは裏腹に感情込められない硬い言葉で締めくくらさせていただきたく存じます。
敬具
1万日生きた俺
同じく1万日生きたあなた様
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