記録/2022.02.09

日記

ずいぶんと久々の更新である。

更新をしていなかった理由は特にない。

面倒だったというだけ。そういう生活を送っていたというだけである。

それはどういう生活か。

労働日は日中仕事に集中しつくし、なけなしの自由時間は回らない頭で読書をした。

定時帰りの月曜日は、映画を見た。

安息日は家の掃除と読書と映画と睡眠を、気が向くままに繰り返した。

読んだ本や、見た映画については、別に感想を書いておくのもいいかもしれない。一応、メモ程度に気になった部分や気に入った部分を記録している。

仕事以外の時間、1人の割合が9割を超えているだろうが、それが私のちょうどいいバランスだと認めざるを得ないほどに、安定している。

さすがに、雑談や日常会話という概念から離れすぎた生活をしている気がするけれど、すでに下がらないレベルに達しているので問題はないと考える。

それで生きていけるのだから全く便利な世の中になったものである。

村社会による村八分問題は、主観に支配されなければ存在しないのではないかと思えるほどに。

社会に問題が見えない。

問題がないところには不満もない。

不満のないところに欲も生まれない。

欲のない所に感情は生まれない。

社会から問題が一切なくなった時、人は表情を失うのだ。

問題に立ち向かうものだけが、生きている。

私は、生きている。

だって、こんなにも寂しい。これは大問題である。

そして喜ばしいことである。

寂しいからこそ、本や映画が楽しく、人と会う事に喜びを感じ、希望を抱くことができるのだから。

そして、それを人生と呼ぶのだから。

なんでも、解決さえすればいいというものではないのだ。

問題が絶えず存在し、その解決に奔走する過程が人生であり、その中に喜びが存在する。

問題がなければ喜びも必要ない、それが人間という生き物なのだから。

少しばかり、傲慢だろうか。

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