人は忘れがちである。
人は誰かのことを真剣に考えている時、心が満たされるということに。
彼はもうずっと、誰かのことを真剣に考えたことはなかったのだろう。
そして、きっとこれからも。
苦しいことも、嫌なことも、全て諦めてしまう大人になってしまったんだ。
そんな大人の話は、いたってつまらない。
つまらない話を聞いてくれた相手には、話を聞くというお返しが健全なのだろう。
モノやカネがいくら眩しく絶対的普遍の価値の輝きを放っていたとしても、それで相手の口をふさいでは、お互いに苦しいだけなのである。
理想論、綺麗ごとは、気持ちがいいときと、息苦しいときがある。
それがいけないというのではない。
何を言っても角が立つというものだ。
絶対があるのは宗教だけだ。
もしかすると、僕はもういないのかもしれないという不安に駆られる。
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