記録/2022.07.18

日記

本当に久しぶりに家族に連絡を取ってみた。

大学進学で実家を離れてから、10年弱。実家への連絡は数えるほどしかしていない。

年末などは帰省するけれど、それくらいしか交流はない。

仲が悪いわけでも、わだかまりがあるわけでもない。

私を立派に育て上げた立派な両親と、かわいい兄弟だ。

両親は何も言わないし、諦めている節もあるけれど、孫の顔が見たいだろう。

仲良く家族旅行という風景に憧れもあるだろう。

私は少し気難しい性格に育ったようで、この部分において、少し後ろめたいものを感じていた。

孫はちょっと難しいし、旅行も積極的にしたいタイプではないので、尻込みしてしまう。

時間は作るものだから、ただの言い訳である。

明日、親が死ぬようなことがあれば、私は後悔すること必至である。

つまり、親孝行をしたいと思った。

ついでに、今少しだけ、少しだけメンタルが落ち込んでいて、寂しかったということも正直に書いておこう。記録だから。

全く良い意味で相変わらず、私を除いた家族は仲良くやっていた。

皆仕事をしている。

辛い事苦しい事やるせない事、様々あろうが、食卓を囲む文化を忘れていない。

幸せな日本の家庭の姿がそこにあり、私はなんだか誇らしかった。

裕福でも教養ある家庭でもないが、徳のある家庭だ。

少し気弱で生きにくいかもしれないが、それは現代の日本の長閑な田舎で助かった。

私はドラム式洗濯乾燥機くらいのものを送って、家事を楽にしてあげたいと思ったが、洗濯機は新調したばかりらしく、あまり乾燥機に魅力も感じていない様子だった。私は必需品レベルだと思ったが、そこは強要しない。シンプルに今欲しい家電はないか聞いた。

掃除機が欲しいとのこと。かわいらしい。

聞けば現行のものはもう30年間も使い続けているらしい。嫁入り道具を未だにといった時間感覚である。

もうボロボロであることは言うまでもないが、現役でホコリを吸い込み続けている事は驚嘆に値する。

父は言った。

コードレスで吸引が強いヤツが欲しい、と。

ずいぶんなギャップである。

歴史の石段を何段もスルーしての世代交代である。

現役のじいさん掃除機から見たら、未来人もいい所である。

機械というものは、進化を遂げてデザインや使用感は洗練されたものの、機能の増加と複雑さが増すにつれて、耐久性やシンプルな力強さといった部分では何世代も前のものに劣る場面が多いが、その点が心配である。

シンプルな吸引力は劣るのではないかという点である。

それに、30年使い続けた慣れに対し、最新の製品はずいぶん違和感を感じるのではないか。

まあ、気にしても分からんもんは分からんので、仕様や口コミから判断してスペックのよさそうなものを手配した。

はじめは慣れないかもしれないし、もしかすると、レギュラー落ちするかもしれないが、それでも、私の気持ちと新しいものへの興味関心から来る気分の高揚感、新鮮さをプレゼント出来たと思いたい。

というわけで、良い事をした気分になった。

いつ何が起こるか分からないのが世の常であるから、こういった気まぐれの思いつきを先延ばしにしてはならない。

特にその理由が、自己内にある消極的理由によるためらいであった場合には、目も当てられない未来が訪れると思え。

私は今日、善く生きた。

コメント