何を思ったのか。再開。
5か月ぶりの投稿になる。
この間何をしていたかと言われれば、主に仕事をしていた。
仕事が好きだとは言えないが、仕事の好きな部分を増やすのは好きだ。
仕事全体を俯瞰して、仕事をしている自分の時間全てを嫌だと思ってしまった時、僕は奴隷になる。
僕は奴隷でいたくはないから、自分のやりたいように出来る部分を持っていたい。
会社という組織の分担された仕事の中でそれを出来る場所は少ないが、かといってお金や他者との価値の交換が絡む以上、自営業だから全て好き勝手出来るというものでもない。
やったことがないから、想像でしかないが、僕の書くこと全体が想像の産物だという事を忘れてはいけない。誰がと言えば、僕がである。
どちらにしても、好き勝手やる内容に近くの人間が価値を感じてくれるという条件が好き勝手に仕事をする為には必要になる。
要するに実力が必要だ。
当たり前のこと。価値を感じてもらうという部分も含めて実力とする。
時に内実を見ずに、好き勝手を許される、もっと言えば好き勝手にやることを期待される場面があるだろう。これは、毎度毎度それに価値があるかどうかを考え、採用不採用を判断するのは疲れるので、過去の実績、または感覚的な信頼で、価値があることを担保しようという見る者が省エネ状態のときに起こる。
「実力がある」という信頼で、仕事ができる状態。つまり、ブランドが出来ている状態だ。
実際に何がいいのか具体的なことは出てこないけども、私の夫は「いい夫」だと盲信してもらえたらしめたもの、好き勝手出来るのである。
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おかしい。こんなことを書くために、再開しようと思ったわけではないのに。
やろうとしたときの漠然とした思いを、作業へと明確に落とし込む部分をサボるとこういう事が起こる。仕事では、ここをサボると永遠に完成をみないことを、日々感じているはずなのに、プライベートでは気が抜けてしまうらしい。
プライベートでこそ、やろうとしたことを形にしていく方がいいはずだ。
仕事は何年も続けていられているのに、プライベートでやろうとしたことはいつも三日坊主だ。
何を思って再開したのか。
ちょっと、頭に浮かんだ言葉をメモしたかっただけだった。
5か月寝かせたブログを再開してでも、メモしたかったそのフレーズとは!
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人生は三日坊主の連続だ。
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うん、メモだけにしないで良かった。
後でこのメモだけ書いた投稿を見直したら、ほんましょうもないことで再開したものだなと過去の自分を嘲笑しただろう。
それはそれで、面白いかもしれない。
とりあえず、これだけの文章量を打ち込んだという、最低限の充実感を得る為のトリガにはなった。
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再開ついでに、過去の記録をちらちらと見返してみた。
おもしろい。自画自賛の嵐。
今よりももっと仕事が出来ずにいた日々に考えていたことは、今より混沌としていて、あらゆるものに影響を受けていて、ぶれまくっていて、定まらない。
流れが出来上がってしまったら、楽だけど、面白くない。
支離滅裂意味不明の文字の羅列に価値はないかもしれないけど、今はその支離滅裂が恋しい。
上がりを決め込んだおじさんという言葉があるけれど、それに近づいてしまっている感覚になる。
当時の仕事環境、経済状況、世の中の流行、人間関係、天気もなにも記録されていない記録。
何が記録されているかといえば自意識の変遷。
上がりを決め込んだおじさんの自意識など、面白いわけがない。
面白いことを書きたい。
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