私は悩む。悩み続ける。
楽しい時間ばかりではない。苦しい時間の方が多い。
寂しい時間ばかりだが、寂しくない時間が全くないわけでもない。
そしてこれから先、明日でさえも、私が何を感じ何を思うのか、生きているかさえも分からないのである。
つまり、私は今、幸せなのである。
何でもできるわけではない。
お金がなくて出来ない事もあるだろうし、身体的に不可能なこともあるだろう。
私が人間であり、人間社会で生きるという条件の中で不可能に思える事はたくさん思いつく。
しかし、それと同時に出来る事もたくさんある事に気付くべきである。
時間が無いというが、大抵のものはそれを成すのに時間制限などないはずだ。
期限は自分で決められる。
それにいつ命尽きるかも分からない日々の中で、時間が無いから出来ないと言っていては何も出来ない。
ものは言いようであるが、言葉は物事をどう扱うかを決める事が出来る後出しじゃんけんのようなもので、言葉遊びで都合の良い捉え方で出来るというのは楽しく生きる上で必要なスキルだと考えられる。
後出しじゃんけんでわざわざ負けにいくことはあるまい。
多くの時間があれば出来ると思えるのならば、今やれば良い。
常に今、やれば良い。
大抵の人は時間がかかりすぎる事を悟り、不完全燃焼で辞めてしまうだろう。
英語が話せるようになりたいが時間が取れないというのは、どこでも聞く話である。
三日坊主、石の上にも三年、継続は力なりなど、物事を成す為に継続するという事柄に関しての言葉はたくさん残されている。
何も考えずにやり続けるのは良くないというのは、それはそうなのだが、果たして何も考えずに続けることは可能なのだろうかと思う。
私は私が確かに成したいと思っていることであれば、本当に何も考えず詮無き事を繰り返すことはむしろ難しい事のように思える。
これでいいのかと不安になり、考えるはずだ。
行動を変えてはいなくても、考えは変わっているはずである。
これは何も考えていないとは言わない。
確かにその行動は目的達成につながっていないかもしれない。
しかし、この方法ではダメなのだと気付く為の時間は絶対に必要なのだ。
そして、違う方法を試す。
目的達成までの時間が短い人はこのプロセスの効率が良く、優秀だと言われる。
自分が優秀であるかどうか、人は気にしてしまうものだが、自分がやりたいことについて、他人と比べる必要は全くない。
自分が出来るようになる事が最大の関心事であることを忘れてはいけない。
人と比べているうちは、本当に自分に満足することは無いだろう。
自分に満足しなければならない。
自己完結でなければならない。
他人より出来るようになったから、満足というのは本当の満足とは言えない。
自分に満足する事だ。
それを目指し手に入れる事が生きるという事である。
であれば、私は好きな本を読み、好きなアニメを見、漫画を読み、大切な人を大切にする事、いずれ死が訪れる事への憤りや、どうしようもなく溢れる感情を、まずはこうして文章にぶつけるのだ。
この僕の一個の小さな脳と体から発せられるエネルギーを、生きる事で表現するのだ。
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