記録/2020.12.01

日記

今日も仕事を終え家に着くと、鞄を置くやいなやジャージに着替えていつもの道を走った。

ここ2カ月ほど、ほぼ毎日走っているが、その時の感情はいつも違う。

走る直前と直後でも感じる事や思う事は違うから、明日の気分など分かるはずも無い。

これは毎日走るという事を通じて思う事の中で、僕にとって特に重要な感覚だ。

言葉にするのは難しいが、頑張って残したいと思う。

この感覚を忘れてしまった時の為に。

まず、人間の(僕の)感情は自分で完璧にコントロールできるものではないという事。

完璧など程遠く、ほとんどコントロール出来ないと思っていい。

なんだか、自分を律する事が出来ていないと書いているようだが、あながち間違ってもいないのでそれが僕だと認める事にする。話がそれた。

しかし、これは救いでもある。

苦しい感情を抑える事が叶わない代わりに、楽しい感情を拒むことも叶わないからだ。

どんなに楽しくなりたくないと思っていても、人間はそれだけで幸福を求める生き物なので楽しいという感情をどこからか調達してしまうのだ。

試しに楽しい感情を一切捉えないように意識してみるといい。

本当に楽しい感情を無限に抑え込むことが出来て死にたくなっても保証はしないので自己責任で。

自分に書いていて自己責任という言葉を使うのは、少し可笑しかった。話がそれた。

誰しも一度は口にしたことがあるだろう「楽しいことないかなぁ」という言葉、これを口にするときの思考順序はある事柄が楽しそうだとイメージ出来たら行動するということになる。

はっきり言って、こういう時に楽しいことなんてイメージ出来ない。そのイメージが沸くのを待っていても、「楽しいことないかなぁ」の状態が延々と続くだけである。

アニメを見るなり、音楽を聴くなり、時間の浪費だと感じていたとしても何かしらやっていればまだいいが、僕の場合あらゆる行動を制限して思考の渦に飲まれて壁を眺めて頭を痛めて寝るという時間を過ごすだろう。

それは、避けた方がいい。

なぜなら、自分の欲しい感情の調達というのは実践経験を積んでいくうえで徐々に養われていく技術だからだ。

技術は思想だけで身につくものではない。

自分の感情のコントロールも技術である。

とりあえず、やる。あれもこれも、やる。やらないならやらないで、寝る。

はっきり決める事だ。

そういう経験を積み重ねる事でだんだんと傾向が分かるようになる。

やらないという決断を含めた行動をして、初めて自分の事が分かったりする。

そうはいっても根っからの優柔不断人間な僕だ。

決断をするその瞬間を逃してずるずると時間が経ってしまう時もあるだろう。

そういう時間は未来の自分に向けて何をするか決めてやるといい。

こういう時はこれをするとか今週はこれをするとか、ルールを作ってしまうといい。

とにかく、迷う時間を減らすように試みるのだ。

本当にそれをやって意味があるのか、楽しいのか、後悔しないかと思ってしり込みするかもしれない。

だが、安心していい。

僕は感情のコントロールが出来ないのだから。

結果得られる感情が分からないのであれば、行動する前にその結果に恐れていても仕方がない。

本当に仕方がないんだ。

あきれるほどに。

笑ってしまうほどに。

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