記録/2021.01.05

日記

コロナウイルスの拡大に歯止めがかからず、むしろ指数関数的に感染者が増えている今日この頃。

しかしこういったものは、自分や身近な人が感染したとかでなければ他人事だ。

とりあえず今のところ他人事である。

これは幸福なことだと言えよう。

今日の昼、毎日通勤で使っている路線で人身事故があったらしい。

調べてみたところ、どうやら自殺らしい。

20代女性が亡くなったようだ。

僕は気づいた。コロナウイルスより自殺の方が身近に感じる自分に気付いた。

コロナにかかる自分より、自殺する自分の方がリアルに感じた。

今日はこの女性が僕を救ってくれたのかもしれないと思った。

自分の仕事がうまく進まない事、お客さんの期待に応えられない事、自分が独りなのではないかと思える事、寂しさに耐えられないと思う事、寂しいと誰かに言う事の無意味さを思い、相手への迷惑を考えるとどうしようもなくなり絶望感が襲ってくる事。

こんな世界を見ながら、パフォーマンスの落ちに落ちた頭で仕事をこなし、(いや、こなせていないからこうなっているのかもしれない)時間切れとなって帰路につく。

そこで自殺で亡くなった方がいる事を知る。

こうして僕は無事家に帰り、シャワーを浴びる。気持ちがいい。

意味がないと思いながら、本音を我慢できない僕はSOSを投げつけてしまう。

温かい部屋と布団。本。テレビ。パソコン。スマホ。ヨーグルト。

生活を豊かにするもの美味しいもの。

満たされている。足りない物が思いつかない。

そして襲い掛かる寂しさと寂しさと寂しさ。

なぜ生きていられるのかが不思議だ。

1秒前に生きているから今も生きているだけという感じがする。

慣性的に生きているだけ。

今、辛い事、苦しい事は確かで、もしかしたら明日は僕がホームから飛び出るのかもしれない。

しかし、少なくとも今僕は思い出すことが出来る。

人間万事塞翁が馬という言葉を。

そして、この言葉で思い出すことが出来る。

今までの幸福な出来事。不幸な出来事。

それはいつだって予想し得なかった。

そして、あの時の苦しさも今は忘れた。

あの時の苦しさを僕は乗り越えられた。

何をしたわけでもない。ただ生きていただけだ。

つまり1年後、もし僕が生きているなら、今の苦しみは間違いなく乗り越えているだろう。

ならば、今の僕が一番やるべきことは生きる事に集中する事のみだ。

よし、寝よう。

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