全ては自分の為の態度と言葉

考えたこと

あの人はいつもイライラしている。

あの人はいつも怒っている。

あの人はいつも他人を見下した目で見ている。

あの人はいつもニコニコしている。

あの人はいつも優しい。

あの人の行動と態度は、その人自身が必要としているものだ。

僕はイライラしたくは無いし、怒りたくもない。

別にニコニコしていたいとは思わないし、優しくしたいとも思っていない。

もちろん、ニコニコしていた方が楽しいという事かもしれないと思うし、優しく出来るという事は良い事だと思う。

でも別に必要というわけではない。

僕がイライラするとき、自分がイライラとした感情や態度、言葉を僕が欲していると感じる。

原因は確かに自分以外のところにあるのかもしれないが、その対処方法として僕はイライラを選択している。

同じように、何かの原因に対して僕は僕の為に喜ぶし、怒る。

僕の為に優しくし、僕の為に人を見下している。

そして、イライラしている時間が多いと、僕から人は遠ざかっていく。

人を見下した態度を取っていると、人は僕を嫌いになっていく。

全てはその時、僕が欲した感情と態度であり、武器だった。

その結果、僕はとても後悔をすることになった。

だから、僕は誰かがイライラしていたり、見下した態度を取っているのを見ると、辛くなる。

大きなお世話だとは思う。

でもどうしても、この人もいつか後悔するのではないかと想像してしまう。

僕に他人を変える事は出来ない。だから、辛い。

僕は僕の為に、今、どんな態度や言葉、表情を選択しているのか。

それを自覚するのは、結構難しいんだと思う。

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