記録/2021.02.05

日記

仕事をしていると、何のために生きているのか分からなくなる。

働いている自分も世界も、なにもかもどうでもよくなる。

どうでもいい仕事をしていると、どうでもよくはないミスをするものだ。

そんなミスをした自分、集中していない自分、真剣に取り組んでいない自分が心底情けなくなる。

これは本当だ。

頭がくらくらする。

仕事をするために生きているのではないと思う。

では何のために生きているのかと問うても、答えはない。

その方が怖い、絶望しかける。

仕事でミスをして焦って落ち込んでいる時間はその絶望を忘れることが出来る。

だから仕事に頼る。

仕事のミスは、その仕事に生きる。

どんなにやる気が無くても、知識は増えていく。

応用は出来なくても、同じことは出来るようになる。

仕事はいい。自由を恐れずに済む。

自由を雲の上の存在だと、諦めて、いつか手に入れたいと希望を持つことが出来る。

自由は手にしてはいけない。

自由の先に希望は無い。

何もかもどうでもよくて、どうでもよくない。

僕は何におびえているのか。分からない。分かりたくもない。

分かりたい。死にたい。死にたくない。

笑うし、泣くし、感動もするが、どうでもいい。

幸せも、不幸も、喜びも、悲しみも、どうでもいい。

温かい朝も、寒い夜も、笑顔も、泣き顔も、どうでもいい。

綺麗な朝焼けも、夕焼けも、壮大な景色も、美しい涙も、どうでもいい。

ちくしょう、クソが。

馬鹿らしい。本当に嫌だ。

何が嫌なんだ。楽しい。タイピングが早くなっているのを、実感する。

だからそれがなんだ。どうでもいい。

この数カ月、怒涛の勢いで、投げやりにでも妥協でも自分の決断で仕事をしたことで、猛烈に失敗を重ね、破竹の勢いで心が裂かれていった。

そして、それはこの先も続く。

そんなことも、どうでもいい。

そこに甘んじる。

どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。

明日死ぬかもしれない。それすら、どうでもいい。

明日死ぬかもしれない希望もなくなった。どうでもいい。

明日死のうが、生きようが、どうでもいい。

叱られようが、褒められようが、どうでもいい。

ぼくはどうでもいい人生を生きている。

それが絶望であり、救いだ。

それも、どうでもいい。

全ての事が栓なきこと。

どうでもいい。死ね。誰が。

誰でもない。全てがだ。死ねばいいわけではない。

死ぬ気なんてない。だから、死ぬのは素晴らしいことだ。

死ぬなんて、希望めいた言葉で語れるものではない。

何もない。何もないがゆえに、どうでもいい。

全てが嘘であり、真実。そんな世界が心底気持ち悪い。

ドラッグの快楽が永久に得られるのならば、全財産をはたいてでも、文字通り身を削ってでも欲しい。

永久麻薬。

それは、服用してしまえばこちらのものだ。

とか言いながら、また、楽しい気分だとか、幸せな気分だとか、が避けようもなくやってくる。

そんな人間という生き物である自分が気持ちわるい。

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