気温の変化の激しい今日この頃ですね。
今日は暖かいのか、それとも寒いのかは、朝会社へ出かける支度を慌ただしくした後、最寄りの駅までダッシュしながら判断をしている今日この頃です。
それはそうと、私はそろそろ死ぬのではないかと思っています。
何故なら、心がとても穏やかだからです。
悪く言えば、あらゆる事がどうでもよく感じられるのです。
どうでもいいなら、仕事だとか、面倒な人間関係だとかもやめてしまえばいいと思われるかもしれませんが、それは出来ません。
なぜなら、どうでもよくない事もあり、それを生きている間に享受するには、面倒なことも可能な限りはやった方が、都合が良さそうというのが今の結論だからです。
どうでもよくない事というのは、人間の事です。
正直、私の性格は悪く。個人的な人間関係においては、他者への関心が薄く、私のネガティブな面を押し付けるようなコミュニケーションをしてしまうという質の悪い特徴を持っているようです。
それでも私が興味があるのは人間でありまして、少し概念を広くとって、人類という意味での人間です。
実際は人間である自分に一番の関心があり、自分を人類という大きな枠にはめ込むことで自分を理解したいという事かもしれません。
人類の中の私となると、みんな違ってみんないいという事になって、私は私という所で思考がとまってしまい、それで納得してしまったら、私の唯一の関心事がなくなり、それはそれは寂しいことになってしまいます。
それゆえに私は気づけば哲学をしているのかもしれません。
とはいえ、こんな事を考え、書いているのは、今、私がそれを欲しているからに過ぎないのでしょう。
ストレス、不安、苛立ち、憤り、嫉妬、悲哀、寂寥、自らを苦しめる感情というものが、私にこうして行動をもたらしているのでしょう。
この文章に意味があるとすれば、私が今を生きながらえる為という事になると思います。
そういう事にすれば、この他人に価値をもたらさない文章は私にとってはかけがえのない私自身の命を紡ぐという尊い役目を果たす文章という事になります。
文章は人と人を結び付ける架け橋のような、役目を持つ場合が多いかと思いますが、これは、他人と他人ではなく、私を未来の私と結びつけてくれる、私にとってなくてはならない文字の羅列という事になります。
要するに、この文章は素晴らしいのです。
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