月並みでありふれた言葉やフレーズでも、ある時ふとその存在が輝くように感じることがある。
最近、仕事や読書中、電車の中、スマホを見ている時に頻繁に思う言葉がある。
それは、人類の最大の発明は文字であるという誰が起源かもわからぬ言葉だ。
この言葉を知ったときも、その通りだなと思いはしたが、最近はその重みとその認識の深さが生活をしていく中で日に日に増してゆく。
これをどれだけ実生活に利用できているかを考えるくらいに、その価値を感じている。
現代社会は、もちろんこのブログが書けている事を含めて、人類の英知の積み重ねと発展で成り立っている。
それは、文字による記録という行為が無ければ到底成しえなかったことだ。
仕事中、参考資料などなく、すべてのノウハウが人の頭の中にしかないとなれば仕事にならない事を思えば、記録と参照、データの整理がどれだけ重要なことかと思い至る。
すぐに効果がでるものではないかもしれない。
学問は温故知新が常の世界だ。
何百年前の記録がいつ、だれの働きによって、どのような輝きを放つかは分からないのだ。
発展と変革の思いは常にあれど、研究の成果が出たうえに、さらに世間に認められるとなると、その困難たるや、もはや時代の気まぐれとしか言いようがない。
そんな大それたスケールで考えているわけでも期待している訳でもないけれど、僕も記録を、せめて自分と出来れば周りの人くらいには、未来に役立てる事を考えて生活したいと思った。
その為にはやはり言葉を、文字を知り、使うという技術を習熟させるのは必要不可欠だ。
これも実験であり積み重ねだ。
未来には大いに期待を、現在には楽しみと集中を。
あまねく苦難から身を守るには、集中による結果論としての継続という大いなる流れに乗ることが最適なのだ。
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