特に書く事が無くても何かしら書くとよいというのが、なんとなくわかった。
書かないとなんだか調子が悪い。
思考というのはなんであれ、一度寝かすことが大事らしい。
見つめる鍋は煮えないのだ。
そんな言葉もこうして何かしら書いてみようとして思い出した。
そうしてさらに強固に記憶に定着される。
今日の事を書いておこう。
仕事がとてもつらかった。
どういった辛さかというと、失敗に失敗を重ね、また間違うのではないかという不安から、自分自身での判断が怖くなり、判断の怖さから作業が遅くなり、その遅さがまた焦りを生み、焦りがミスを呼び、最終的に自分は出来ないと思うようになり、それでも手を止めるわけにはいかないから、作業は進めていく、出来ないと思いながら、出来るイメージを持てずに迷宮を彷徨うように手を動かす。出来ないのに手を動かしていると、次第に何をやっているか分からなくなる。
呼吸が浅くなっている事に気づく。
そういう辛さだ。
こうして、書いてみるととても近視眼的になっていることに気づく。
僕の仕事の目的はこの際考えない。目の前にある仕事の価値を考える。
価値を欲する人がいるから仕事となりうる。
そのことを忘れている。
出来ないかどうかを判断するのは意味がない。やらなければならないのだから、やるし、出来ないと分かれば次は無いだけだし、出来るようになりたければ、学べばよい。
そのスピードや関心がお客さんの期待に沿えないのであれば、それなりの対処がなされるはずだ。
僕はただ僕であればよい。
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