三月下旬、新生活への助走をつける人々や年度末の喧騒に巻かれている社会人の行き交う道の傍らで、一足早めに咲いた河津桜が咲き誇り、道行く人それぞれの世界をいくらか華やげていた。
桜の中でもひときわ桃色濃く華やかな河津桜でさえも、その人の世界を彩ることは出来なかった。
Aは社会人二年目のサラリーマン。
口癖はでも、だって、いや。
自他ともに認めるネガティブ人間だったが、その認識が少しだけ間違っているらしいと思う出来事があった。
それに気づいたのは、彼の友人が彼にこんな質問をしたことがきっかけだった。
「寒いって何だろうね。」
友人も明るい人間とは言えず、時折意味のない質問を吹っかけてくるが、Aはそれが嫌ではなかった。
彼はAがどんなに落ち込んでいても、一緒に落ち込む人間ではなかった上に、Aがどんなにネガティブな事を語ろうと彼の世界は動じず、Aの世界をいたずらに揺らがせることも無かったから、Aは安心して言葉を発する事が出来た。
彼のAに投げかける問いは、Aが言葉を自由に紡ぐ事を許される唯一の機会に思えた。
ただこの日の問いは難しく、すぐに言葉が出てはこなかった。
寒いとは何か。
こういった何らかの解決を求めない問いは、手を抜けば一言で片づけられるし、踏み込んでいけばどこまでも道を外しながら進んでいける。
Aはいつもどおり、安心してネガティブな思索の海底を目指し潜水を開始した。
最初の一歩は実に物理的で冷たく、情緒の欠片もなかった。
寒いという事は、気温が低いという事だ。
気温が低いという事は、エネルギーが少ないという事だ。
エネルギーが少ないと、あらゆる原子を最少単位として出来ているこの世界の物の動きは止まっていく。
寒いというのは止まること。死に近づいている事だと思った。
人間は死ぬと体温を失う。また、体温を失うと死ぬ。
しかし、原子から構成されている人間にとって止まる事だけが死ではない。
火事は熱い。マグマも熱い。人間は焼かれても死ぬ。
バターがフライパンの上で溶けていくように、人間もエネルギーが加わりすぎるとその形状を保っていられずに崩壊してしまう。
それも、死に近づいている事になる。
人間は、寒すぎても熱すぎても死ぬのだ。
もとより環境が整わなければ、存在することも無かった。
ココが、私たちに「ちょうど良い」環境であるがゆえに私たちは存在している。
桜と同じだと思った。
桜は春にしか咲かない。
寒すぎず、熱すぎない、ちょうど良い「春」という季節にしか。
Aはこの「春」という時期が好きだった。
肌に気分の良い気温で華やかな、そして短く儚い「春」という時期が。
私たち人間も、地球の命、宇宙の命から見た「春」を生きているのだと思った。
なんてちっぽけな存在なんだとも思ったし、とてつもない軌跡だという感慨を覚える。
その時、Aは自分が桜になったような気がした。
桜より、もっともっと桜。
時期を感じる暇もない、一瞬、一回きりしか咲かない命。
短い時期に咲く桜は華やかだが、一瞬を咲く人間はきっと煌めく。
Aは空想の海に長い事潜り込んでいたことを思い出した。
彼は友人の質問に対して、こう返事をした。
「ネガティブって突き詰めると、ロマンになるんだね。」
思惟にふける間にも、どんどん夜は冷えていた。
もう少し着込んでくれば良かったと手をポケットに入れた友人は衝撃的な一言を放った。
「それ、ネガティブ突き詰めるの失敗してるよ。笑」
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