記録/2021.04.14

日記

相変わらず仕事は出来ない。

一生できると思える日など来ないのではないかと思うほどに、自分の気づきの少なさや、工夫への意欲のなさを感じる。

しかし、それは周りと比べての感情であると気付くのにずいぶんとかかってしまった。

私は誰よりも自己中だと思う。

私は目の前の人間(お客さん)が困っていてもどうでもいいほどに、仕事の難しさに取り組むのが楽しい。

納期や出来栄えのバランスは自分の裁量で自分の納得を最優先に考える。

結果それが早かったり、出来栄えは良かったりするものだ。

それで出来ないのならば、それはもう僕には出来ないことだったのだ。

ここが楽しいポイントである。

できない事だった。今なら出来る。

定期テストの内容は毎回違うように、仕事も全く同じ問題が起こるわけではない。

タイミングも規模も難易度も毎回変わる。だから、毎日出来ないと感じる。

しかし、確実に出来るようになっている事はどうしようもない事実だと思い出そう。

自分をダメだと思う必要がない。思い込みたいだけだ。

今、大学受験の時と同じ問題が解けるかと言えば解けない。

それをダメだと思うか。いや思わない。

なぜなら今、受験の問題が解ける事を必要だと感じてもいないし、仕事として求められているわけでもないから。

今は忘れてしまったが、受験を受けた次の日は覚えていたはずだ。もう一回挑戦出来れば、平均点は爆上がりするだろう。

そう、人は忘れる。だから、復習が大事なんだ。

だけれど、僕はいつも過ぎたことは過ぎたこととして辛かった事と一緒に出来るようになった事まで忘れてしまう。

仕事は一生するだろう。仕事である以上、価値があるとしてやらされている事だろう。

であれば、価値があることが出来るようになっているという成長として、今日の失敗をメモリーしておく事がどれだけ素晴らしい事か。

避けようのなかった成長をなかったことにしては、もったいない。

せっかく、失敗して辛い思いをして成長したのに、自分がダメだと思う必要がない。

ダメかどうかを判断しなければならないのは、いつも上司だとか会社だとかの他人だ。

その判断は大抵、単にその人の仕事の中で判断する事が必要だったか、自分の感情の為の判断かに分かれる。

それを気にする必要はない。辛いのは私ではない。クビになって生活が辛くはなるかもしれないが。

費やした時間を金に換えて受け取るだけでは、本当にもったいない。

何を書いているか分からなくなってきた。

とりあえず今日大事だと思った事。

それは、成長とは生きているだけで否応なしにするもので、自分がダメだと思う必要が無いという事。

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