記録/2021.04.26

日記

なぜ、気弱な態度、声になるのか。

それは正解があるという幻想を持ち、自分は正解にたどり着けないと信じているから。

完璧な正解はこの仕事にはない。

より良いという、ふわっとした概念だけが存在する。

そして、正解という記号は、より多くの人が納得するだけの、理由と証拠を並べ立てられるものに与えられる。

主張することによって、正解らしき記号を得る事が出来る。

僕は主張しようとしない。

しかし、それがやる気がないという事に直結はしない。

ただ、嘘はついている。この仕事自体に興味はない。

だから、言葉が出てこない。

では、何に興味があるのか、仕事をすることに興味がある。

仕事とは何なのか、それを知る為に仕事をしていると言ってもいい。

僕の夢はとっくに叶っている。

学生を脱し、仕事をして、生活する。

今、生活出来ている。

夢は叶っていた。

次の夢は、仕事をやめる事か。冗談じゃない。

せっかく叶った夢を手放すつもりはない。

では仕事をしたいか。正直、したくないと感じる事が多い。

仕事は強制されてやるものではない。

実際、誰からも強制されていない。

自由だ。

迷宮に迷い込みそうだから、この辺でやめておこう。

書いている内容程、今この状況を深刻に思ってはいないし、むしろ少し面白がって書いている。

幸せを感じる事が多いこの頃だ。

なんでもよくて、なんでもよくない。

何でもいいというのは、世界から見た僕個人が何をするのかは何でもよいという事。

何でもよくないというのは、僕が僕に思っている事、こだわりの事。

何でもいいわけない。自分の信じるものを体現して生きる。

要するに、馬鹿でいいから、馬鹿になれと言いたいのだ。

しかも、馬鹿なら馬鹿なほど良いのだ。

それが、「楽しい」なんだ。

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